エレミヤ33章1~26節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

エレミヤ33:1 主の言葉が再びエレミヤに臨んだ。このとき彼は、まだ獄舎に拘留されていた。
33:2 主はこう言われる。創造者、主、すべてを形づくり、確かにされる方。その御名は主。
33:3 「わたしを呼べ。わたしはあなたに答え、あなたの知らない隠された大いなることを告げ知らせる。

預言者エレミヤに対して語られる主の御言葉は、いよいよ、その核心にせまることとなっていきます。
「わたしを呼べ。わたしはあなたに答え、あなたの知らない隠された大いなることを告げ知らせる。」
この言葉は、主が私たちの思いをはるかに超えた大いなる御業をもって、私たちを悩みの淵より助け出してくださるであろうという約束を告げていると言えるでしょう。
そして、その約束は、新約聖書における救い主イエス・キリストの到来によって実現していくのです。

エレミヤ33:14 見よ、わたしが、イスラエルの家とユダの家に恵みの約束を果たす日が来る、と主は言われる。
33:15 その日、その時、わたしはダビデのために正義の若枝を生え出でさせる。彼は公平と正義をもってこの国を治める。
33:16 その日には、ユダは救われ、エルサレムは安らかに人の住まう都となる。その名は、『主は我らの救い』と呼ばれるであろう。
33:17 主はこう言われる。ダビデのためにイスラエルの家の王座につく者は、絶えることがない。
33:18 レビ人である祭司のためにも、わたしの前に動物や穀物を供えて焼き、いけにえをささげる者はいつまでも絶えることがない。」

私たちは、旧新約聖書のいずれをも知り、今の時代に生きる者であるからこそ、この言葉が、救い主イエス・キリストの到来を預言する御言葉であるということを知ることができます。そして、そのために旧約の時代のイスラエルの歴史の中に、預言者エレミヤを送り、これから後に主がなそうとしておられた事柄を告げさせられたと言う事もできるでしょう。
しかし、今だからそのように見る事ができるわけで、旧約の時代に生きた預言者たちは、そうではなかったわけです。未だ見えぬ将来について、未知と不安の中で、悩みながらも、主なる神様がお語りになられたことに信頼して生きるより他、仕方なかったことでしょう。
しかし、それは、今の時代に生きる私たちにも同様のことです。
誰も、将来のことはわかりません。
しかし、唯一はっきりとしていること。
それは、私たちは既に主イエス・キリストの十字架の贖いによって救いの約束を頂いていること。
永遠に変わることのない神の愛に守られて生かされていること。
何も恐れることはありません。