エレミヤ27章1~22節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

エレミヤ27:4 あなたは彼らに命じて、それぞれの主君に次のように言わせるのだ。イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。あなたたちの主君にこう言いなさい。
27:5 わたしは、大いなる力を振るい、腕を伸ばして、大地を造り、また地上に人と動物を造って、わたしの目に正しいと思われる者に与える。
27:6 今やわたしは、これらの国を、すべてわたしの僕バビロンの王ネブカドネツァルの手に与え、野の獣までも彼に与えて仕えさせる。
27:7 諸国民はすべて彼とその子と、その孫に仕える。しかし、彼の国にも終わりの時が来れば、多くの国々と大王たちが彼を奴隷にするであろう。
27:8 バビロンの王ネブカドネツァルに仕えず、バビロンの王の軛を首に負おうとしない国や王国があれば、わたしは剣、飢饉、疫病をもってその国を罰する、と主は言われる。最後には彼の手をもって滅ぼす。
27:9 あなたたちは、預言者、占い師、夢占い、卜者、魔法使いたちに聞き従ってはならない。彼らは、バビロンの王に仕えるべきではないと言っているが、
27:10 それは偽りの預言である。彼らに従えば、あなたたちは国土を遠く離れることになる。わたしはあなたたちを追い払い、滅ぼす。
27:11 しかし、首を差し出してバビロンの王の軛を負い、彼に仕えるならば、わたしはその国民を国土に残す、と主は言われる。そして耕作をさせ、そこに住まわせる。」

ここしばらく、旧約聖書の厳しい裁きの言葉を聞き続けている。
私はずっと、人の心を変える力を持つのは、北風と太陽のお話しのような、太陽の暖かさだけだと思っていた。北風だけでは、かえって頑なになるだけだと。
しかし最近、時には厳しい北風のような言葉も必要なのだと思えるようになった。
なぜなら、優しい言葉だけを聞いていると、自分勝手な人間は、自分の都合の良いように理解し、甘えた態度を取ってしまうから。

ユダの王ゼデキヤの時代、主なる神様は、隣国バビロンを用い、南ユダ王国へ攻め入らせることをお許しになられた。しかしそれは、単にユダを滅ぼすためではなく、真の神をないがしろにしていた民に対する戒めのためであり、その証拠として、たとえバビロンに捕らえ移されたとしても、そのバビロンの国にも滅びの時がきて、その時には、必ずや祖国へ帰還することができるであろう約束が語られており、それまでの一時的な手段として、バビロンの地でやり過ごすことを命じておられるのである。
言わば、悔い改めの期間として、神が定められた愛ゆえの裁きといったところであろうか。

裁きと解放の約束。これは明らかに、律法と福音の言葉であると言える。
そして、福音が福音(喜びの知らせ)であるために、律法(裁き)の言葉も必要なのだということを思う。

ローマ11:22 だから、神の慈しみと厳しさを考えなさい。倒れた者たちに対しては厳しさがあり、神の慈しみにとどまるかぎり、あなたに対しては慈しみがあるのです。