エレミヤ25:27 あなたは彼らに言うがよい。「イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。飲んで酔い、おう吐し、倒れて起き上がるな、わたしがお前たちの中に送る剣のゆえに。
25:28 彼らがあなたの手から杯を受けず、飲むことを拒むなら、あなたは彼らに言うがよい。万軍の主はこう言われる。お前たちは必ず飲むことになる。
25:29 見よ、わたしの名によって呼ばれるこの都にも、わたしは災いをくだし始めた。お前たちが罰を免れようとしても、決して免れることはない。わたしはこの地のすべての住民に対して、剣を呼び寄せた」と万軍の主は言われる。
25:30 あなたは、これらの言葉をすべて彼らに預言して言うがよい。「主は、高い天からほえたけり 聖なる宮から声をとどろかされる。その牧場に向かってほえたけり この地のすべての住民に向かって 酒ぶねを踏む者のように叫び声をあげられる。
25:31 その響きは地の果てに至る。主は、諸国民と争い 肉なるものをすべて裁き 主に逆らう者を剣に渡される」と 主は言われる。
25:32 万軍の主はこう言われる。見よ、災いが一つの民から出て他の民に及ぶ。激しい嵐が地の果てから起こる。
25:33 その日には、主に刺し貫かれた者が地の果てから地の果てまで、嘆くこともなく横たわる。集められることも葬られることもなく、地の面にまき散らされて肥やしとなる。
神の御心を損ない、偶像を拝み続けたイスラエルに対し、主なる神様は、バビロンの侵攻による亡国という裁きのメッセージを告げられます。
しかし、それは、この世界において、聖なる祭司の務めを担うために選ばれたイスラエルへの裁きであるが故に、全世界の民に対する裁きへと拡大していくのです。
各国の民が剣による裁きを受けるようになる。言い換えれば、全世界に戦争が広がっていくことを示していると言えるでしょう。
戦争は、まさに、偶像を礼拝する人間の犯す罪の中で、最大であり、最悪のものと言えます。
そして、それは、主が人間の罪をお裁きになられた結果でもあるのです。
人類が身勝手な理由で神に背き、神様以外のものに心を奪われた結果として戦争が生じているとも言えるのであり、その神への背きの罪に対し、神様は「見過ごしにされる」という形で裁きを行われているということなのではないでしょうか。
時々「神様がいるのなら、何故この世に戦争があるのか?」といった質問をされることがあります。しかし、神様ご自身は、人類が戦争を始めることを望んではおられず、欲望に支配された人類が神の裁きをも覚悟で争いあっている、それが戦争の実態なのでしょう。
ローマ7:24 わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか。
滅び行くことしかできない私たち人類にとって、神の御子イエス・キリストの贖いの代価によってもたらされる救いの約束は、無くてはならないもの。
主よ来たりませ。この地に真の平和をもたらしたまえ。