エレミヤ9章1~26節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

エレミヤ9:3 人はその隣人を警戒せよ。兄弟ですら信用してはならない。兄弟といっても「押しのける者(ヤコブ)」であり隣人はことごとく中傷して歩く。
9:4 人はその隣人を惑わし、まことを語らない。舌に偽りを語ることを教え疲れるまで悪事を働く。
9:5 欺きに欺きを重ねわたしを知ることを拒む、と主は言われる。

エレミヤ9章には、主なる神様に対し、背信の罪を重ねているイスラエルの民に対する深い嘆きの言葉が記されています。
その中で、兄弟はみな「押しのける者(ヤコブ)」であると語られていることに注目してみました。
この箇所は、新共同訳聖書のみ「押しのける者(ヤコブ)」と言う風に、原音での表記が記されていて、そもそも、イスラエルの民が、兄弟をおしのけてまで祝福を独り占めしようとしたヤコブに起源を持つものであるということを思わされるのです。(創世記27章36節参照)
つまり、神様の贖いにより義とされた者、新約の民イスラエルも、かつては、兄弟すら押しのけて生きようとする自己中心的な「押しのける者(ヤコブ)」であったということであり、そのような「自分の力に頼り、自分の兄弟さえも押しのけて生きようとしていた者」を、主なる神様の深い憐れみによる取り扱いによって、「神の力に頼り、神に祝福された民イスラエル(神が争われる)」と呼ばれる者にならせていただいたことを覚えたいものです。

この御言葉を聞いて、それでもあなたは、誰かを押しのけてまで生きようと思いますか?
それとも、私のために命をかけて闘い、勝利を勝ち取って下さった主なる神様に信頼して歩みますか?

創世記32:25 ヤコブは独り後に残った。そのとき、何者かが夜明けまでヤコブと格闘した。
32:26 ところが、その人はヤコブに勝てないとみて、ヤコブの腿の関節を打ったので、格闘をしているうちに腿の関節がはずれた。
32:27 「もう去らせてくれ。夜が明けてしまうから」とその人は言ったが、ヤコブは答えた。「いいえ、祝福してくださるまでは離しません。」
32:28 「お前の名は何というのか」とその人が尋ね、「ヤコブです」と答えると、
32:29 その人は言った。「お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と闘って勝ったからだ。」
32:30 「どうか、あなたのお名前を教えてください」とヤコブが尋ねると、「どうして、わたしの名を尋ねるのか」と言って、ヤコブをその場で祝福した。
32:31 ヤコブは、「わたしは顔と顔とを合わせて神を見たのに、なお生きている」と言って、その場所をペヌエル(神の顔)と名付けた。