1コリント15:3 最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、
15:4 葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、
15:5 ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。
15:6 次いで、五百人以上もの兄弟たちに同時に現れました。そのうちの何人かは既に眠りについたにしろ、大部分は今なお生き残っています。
15:7 次いで、ヤコブに現れ、その後すべての使徒に現れ、
15:8 そして最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました。
15:9 わたしは、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でもいちばん小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です。
15:10 神の恵みによって今日のわたしがあるのです。そして、わたしに与えられた神の恵みは無駄にならず、わたしは他のすべての使徒よりずっと多く働きました。しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです。
パウロは、キリスト教の宣教において、最も大切なこととして、イエス様が私たちの罪のために死なれ、葬られた後、三日目によみがえり、復活の姿を現されたことであるということを記し、その中でも大切なことは「この私の罪のために死なれ、よみがえられたこと」であるということを告げているように思います。
キリスト教の宣教を進めていく時、つい、「イエス様は、あなたのために死なれたんだよ」という点を強調してしまいがちなのですが、「私のために死んで下さった」という視点が抜けているなら、その宣教は説得力のない、無意味なものとなってしまうのです。
「最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。」
まず「私」が受ける。そして、私が受けた赦しと命の約束が余りにも素晴らしく、恵みあふれるものだから、あなたにもお伝えします。そんな宣教の働きを続けていきたいものです。