日時:2006年5月14日
聖書箇所:ヨハネ20章24~31節
本日の成長のテキストでは、トマスが他の弟子たちに1週間遅れてイエス様を信じた時のことが取り上げられています。
成長の解説は、ポイントごとに実によくまとめられていて、とても参考になります。
・トマスは特別疑い深かったというわけではなく、一人だけ、イエス様の復活の現場に居合わせなかったために、心を頑なにしていたこと
・イエス様は、頑な態度を取っていたトマスに語りかけ、特別に取り扱ってくださったこと
・信じるということは、見ることによって実現する性質のものではなく、むしろ、見ないで信じることが幸いであるとイエス様がおおせられたこと
・そして、これらのことは、後の時代のすべての「イエス様を見ることのできない者」に向けて語られている約束であるということ
これだけでも十分、お話しの流れがつかめると思いますが、あえて付け加えるとするなら、「私たちの信仰、あるいは、信頼といった概念は、複数の仲間たちの中で実現するものである以前に、基本的には、1対1の関係において実現するものなのだということを覚えたいと思います。
トマスは、自分ひとりだけ仲間はずれになったような気がして、その点において、心頑なになっていたのかもしれません。おそらく、他の弟子たちも、トマスと同じように疑いの心を捨てきれていなかったのでしょうが、トマスだけが取り残され、他の弟子たちと共通の体験をできなかったことで、仲間意識が薄れかけていたのかもしれません。
グループとか仲間という関係は、互いの信頼関係を築いていく上で、たいへん重要な要素を占めているということは確かなことであろうと思います。特に、キリスト教会では、こういったことが重んじられ、兄弟姉妹、一つの家族として信頼しあって行くことが大切なことであると考えます。
しかし、どこの教会にも、あるいは、どんなグループにも、そこに入ることのできない”トマス”がいると思うのです。
牧会の現場に携わらせて頂いていると、こういう問題はしばしば見られます。しかし、グループに入れない方には、それなりに理由があったりするため、無理に、どこかのグループに加わる事は勧められない場合もあります。
そんな時、決まって「一番大切なことは、あなたとイエス様の関係だよ」と言って励ますのですが、だいたい「そんなことはわかってます」と返事が返ってくるものです。わかっているのなら、無理してグループに入らなくても良いのでは?と思うのですが、やはり、どこかに属していないと不安なのでしょう。
イエス様のトマスをはじめ、弟子たちに語られた言葉は「あなたがたに平安があるように」というものでした。一人で不安な時、あるいは、グループに身を置いていても、どこか居場所がないように感じられたとき、そんな時こそ、この御言葉に耳を傾けることが大切だろうと思います。
そして、信頼とは、一人と一人の関係から始まることなのだということを改めて思わされます。
余談ですが、牧師というのは、教会の中では案外、孤独なものです。どの交わりにも参加できる反面、どこにも属していないよう・・・。
だからこそ、私は主の御言葉に信頼し、トマスのごとく「我が主、我が神。」と、イエス様との関係を、まず第1にして行きたいと願っています。
主の平安があなたの上にありますように。