1コリント3:16 あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。
3:17 神の神殿を壊す者がいれば、神はその人を滅ぼされるでしょう。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたはその神殿なのです。
「私たちは神様が住まわれる聖なる神殿である。」
なんと言う幸いな約束でしょう。そして、それは、ただただ、主イエス様の尊い贖いの代価によって全ての罪赦された者であるからこそ成立する「神様の約束」なのです。
そして、その故に、私たちは何物によっても非難されたり、裁かれたりすることなく、永遠の赦しを頂いているのです。
何物にも非難されたり、裁かれたりしないということは、自分自身によっても裁かないということ。
私たち自身の手によって、自分自身を裁くことすらも、神様の御業を無にする行為でありますし、神様以上の存在になりあがろうとする恐ろしい罪であることを思います。
ローマ14:8 わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです。
14:9 キリストが死に、そして生きたのは、死んだ人にも生きている人にも主となられるためです。
14:10 それなのに、なぜあなたは、自分の兄弟を裁くのですか。また、なぜ兄弟を侮るのですか。わたしたちは皆、神の裁きの座の前に立つのです。
裁きに明け暮れるのではなく、赦しあい、愛し合い、感謝しつつ、主をほめたたえる1日でありますように。