マルコ14章27~31節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

マルコ14:27 イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたは皆わたしにつまずく。『わたしは羊飼いを打つ。すると、羊は散ってしまう』と書いてあるからだ。
14:28 しかし、わたしは復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く。」
14:29 するとペトロが、「たとえ、みんながつまずいても、わたしはつまずきません」と言った。
14:30 イエスは言われた。「はっきり言っておくが、あなたは、今日、今夜、鶏が二度鳴く前に、三度わたしのことを知らないと言うだろう。」
14:31 ペトロは力を込めて言い張った。「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません。」皆の者も同じように言った。

イエス様は、もうまもなくご自分が捕らえられて処刑されるであろうという時、「あなたがたは皆わたしにつまずく。『わたしは羊飼いを打つ。すると、羊は散ってしまう』と書いてあるからだ。」と言って、弟子たちが散り散りに逃げ出してしまうであろうことを予告なさいました。
もちろん、ペテロをはじめ、弟子たちは皆、イエス様を裏切ったりはしないと思ってはいたのですが、結果的には、イエス様が仰せられた通り、弟子たち全員がイエス様を裏切って逃げ出してしまうのです。
イエス様は、最初からそうなることを知っておられたため、このような予告をなさったのでしょうけれども、その心は、深い悲しみで満たされていたことでしょう。
しかし、同時に、その故に、弟子たちに対する憐れみの心も深く大きなものであったと言う事ができるのではないでしょうか。

ヨハネ10:11 わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。
10:12 羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。――狼は羊を奪い、また追い散らす。――
10:13 彼は雇い人で、羊のことを心にかけていないからである。
10:14 わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。
10:15 それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。わたしは羊のために命を捨てる。

羊飼いであられるイエス様が打たれたのは、羊が打たれて死なないためであり、身を持って羊を守ろうとしたからこそ、羊を守ることができるのです。
羊が散り散りになってしまうのも、羊飼いが捕らえられている間に、羊たちが危機を逃れることができた結果であり、まさに、命をかけた羊飼いの生き様が表されていると言えるでしょう。

私もイエス様のもとにある、一匹の羊。
主イエス様は、その一匹の羊がどれほど弱く小さな存在であるか、全てご存知であられ、この羊のためにも、命をかけて守ろうとして下さいました。
私のために、十字架で打たれた真の羊飼い、主イエス様を感謝いたします。