マルコ13:32 「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。
13:33 気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたには分からないからである。
13:34 それは、ちょうど、家を後に旅に出る人が、僕たちに仕事を割り当てて責任を持たせ、門番には目を覚ましているようにと、言いつけておくようなものだ。
13:35 だから、目を覚ましていなさい。いつ家の主人が帰って来るのか、夕方か、夜中か、鶏の鳴くころか、明け方か、あなたがたには分からないからである。
13:36 主人が突然帰って来て、あなたがたが眠っているのを見つけるかもしれない。
13:37 あなたがたに言うことは、すべての人に言うのだ。目を覚ましていなさい。」
主の時がいつであるのかは、誰も知りません。そのため、その時のために備えて、常に目を覚ましておくということは、かなり大変なことであるように思えます。
しかし、発想を変え、主の時が最高に幸せな時であるということを思うとどうでしょう。ワクワクしながら、早くその日が来ないかなあと待ち望みつつ、祈りの交わりを通して主と親しく生きて行くならば、そう大変なことではないのかもしれません。
義兄が、仕事が忙しい時期を乗り切るために、ご褒美として、仕事が一段落する時期を見計らって、家族旅行を計画するのだそうです。
そうすると、どんなに忙しくても、楽しく取り組めるのだそうです。
主の時も、永遠の命の約束に伴う、全く新しい体を頂き、愛する神の家族との再会の時、そして、なにより、主イエス様と直接お会いすることの出来る幸いな時。
その時がいつであるかはわからないだけで、必ず計画されているのですから、霊の目を覚まし、主と共にある者であり続けたいものです。