マルコ12:13 さて、人々は、イエスの言葉じりをとらえて陥れようとして、ファリサイ派やヘロデ派の人を数人イエスのところに遣わした。
12:14 彼らは来て、イエスに言った。「先生、わたしたちは、あなたが真実な方で、だれをもはばからない方であることを知っています。人々を分け隔てせず、真理に基づいて神の道を教えておられるからです。ところで、皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。納めるべきでしょうか、納めてはならないのでしょうか。」
12:15 イエスは、彼らの下心を見抜いて言われた。「なぜ、わたしを試そうとするのか。デナリオン銀貨を持って来て見せなさい。」
12:16 彼らがそれを持って来ると、イエスは、「これは、だれの肖像と銘か」と言われた。彼らが、「皇帝のものです」と言うと、
12:17 イエスは言われた。「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」彼らは、イエスの答えに驚き入った。
「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」
この箇所は、神の国の民であるクリスチャンとなった者が、この世の国に対して、どのような態度で関わりを持つべきかということについて、貴重な示唆を与えてくれるものであると言えるでしょう。
C.F.ヴイスロフ博士は、「キリスト教教理入門」の中に『それゆえ国民、国家、民族は、けっして「永遠の」の神的な重要性を持つものではない。まして<政治形態>が神的絶対性をもとうことはありえない。・・・中略・・・それにもかかわらず、わたしたちは国民社会について大きい関心を払う必要がある。わたしたちは、祖国を愛し、また、そうする義務がある。その理由については、これまでとりあげてきた主要思想である私たちの隣人との出会いを考える時に、すぐ知ることができる。国民と国家において、わたしたちは、自分が寄与しなければならない隣人に出会う。』と記しています。すなわち、国家とは、私たちが「隣人を愛し、隣人に仕える場」として与えられているものであり、私たちがこの国に生まれ、この国の言葉を話し、この国の人と交わりを持っているという事実は、この国の人たちこそが私の仕えるべき隣人であるということを示しているということなのです。
税金も、確かに、きちんと正しく使われて欲しいとは思いますが、基本的には、国民が等しく助け合って支えあっていくために徴収され、用いられるものであり、言い換えるならば、隣人愛のために用いられるべきものであると言えるでしょう。
この国の者として命を与えられたことが、単なる偶然ではなく、神様が「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」と仰せられた「隣人」が、自分の同じ国に住む人たちであることを覚えつつ、なすべき務めはきちんと果たしていきたいものですね。