マルコ3章13~19節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

マルコ3:13 イエスが山に登って、これと思う人々を呼び寄せられると、彼らはそばに集まって来た。
3:14 そこで、十二人を任命し、使徒と名付けられた。彼らを自分のそばに置くため、また、派遣して宣教させ、
3:15 悪霊を追い出す権能を持たせるためであった。

イエス様は、いつもご自分のそばにいて、イエス様ご自身の働きを目撃し証言させるため、また、その者たちを宣教に派遣する目的のために12人の使徒たちをお選びになりました。
この12人をお選びになられた根拠については、新共同訳聖書では「これと思う人々」と翻訳されていますが、この箇所の原文には「~したいと願う」という意味を持つ言葉が用いられています。
その点では、新改訳聖書の「ご自身のお望みになる者たち」という訳や、あるいは、口語訳聖書の「みこころにかなった者たち」という訳の方が良いような気がします。
もちろん、新共同訳聖書の「これと思う人々」でも、間違いではないのですが、なんとなくイエス様が適当にお選びになられたかのような印象を与えかねないので、私はこの訳が好きではありません。
イエス様は、ご自分の御心に適い、ご自分がお望みになられた者たちを弟子たちとして選び、そして「召し集められた」のであり、たまたま、近くを歩いていた人たちを適当に集めたわけではないはずだからです。

ところで、新約聖書で用いられている「教会」という言葉は、この「召し集められた者たち」という意味を持つ言葉です。すなわち、教会とは、主イエス様がお望みになられた者たちで、ご自分のそばに置いて、宣教のために用いるために召し集められた者たちであるとも言えるでしょう。
すなわち、教会とは、イエス様が心から望んで召し集められた者たちの集まりであるということ。そして、そのような教会に属しているということは、本当に幸いなことであると思います。

ヨハネ15:16 あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。

主の御心に適う者として、主の御言葉の宣教のために、イエス様が望んで召して下さったことを、ただただ感謝するばかりです。