ヨエル2:12 主は言われる。「今こそ、心からわたしに立ち帰れ 断食し、泣き悲しんで。
2:13 衣を裂くのではなく お前たちの心を引き裂け。」あなたたちの神、主に立ち帰れ。主は恵みに満ち、憐れみ深く 忍耐強く、慈しみに富み くだした災いを悔いられるからだ。
2:14 あるいは、主が思い直され その後に祝福を残し あなたたちの神、主にささげる穀物とぶどう酒を 残してくださるかもしれない。
2:15 シオンで角笛を吹き 断食を布告し、聖会を召集せよ。
2:16 民を呼び集め、会衆を聖別し 長老を集合させよ。幼子、乳飲み子を呼び集め 花婿を控えの間から 花嫁を祝いの部屋から呼び出せ。
2:17 祭司は神殿の入り口と祭壇の間で泣き 主に仕える者は言うがよい。「主よ、あなたの民を憐れんでください。あなたの嗣業である民を恥に落とさず 国々の嘲りの種としないでください。『彼らの神はどこにいるのか』と なぜ諸国の民に言わせておかれるのですか。」
2:18 そのとき 主は御自分の国を強く愛し その民を深く憐れまれた。
本日から四旬節(レント)に入ります。四旬節とは、イエス様の復活された日から数えて、聖日を除いた40日間の期間を指し、イエス様が荒野で40日間断食されたことにちなんで、イースターまでの40日間を、悔い改めとイエス様の十字架の受難を瞑想するために定められています。
そして、本日与えられている聖書日課の箇所では、マタイ6章1~6節やヨエル書2章12~18節などで、形式的な悔い改めではなく、本質的な悔い改めをするように勧められています。
しかし、私たちが悔い改めという言葉を思う時、ついつい、悪い行いをやめ、正しい行為を行うように改めていくという風に捉えがちなのですが、ここで語られていることは、そのような行為を改める悔い改めではなく、心を改める悔い改めが求められているということを覚えなければなりません。
では、心を改める悔い改めとは、どういうことでしょうか。
ヨエル書の御言葉に注目してみると、悔い改めの勧めにおいて、確かに、主なる神様の御前に立ち返り、過ちを正すようなイメージで語られているのですが、その立ち返る神様が、恵みに満ち、憐れみ深く、忍耐強く、慈しみに富んだ方であり、ご自分の民を強く愛し、深く憐れまれるお方であるということを覚えることが大切であるということを示しているように思うのです。
つまり、真の悔い改めとは、恵みの神、憐れみ豊かな慰めの神のもとに立ち返ること、主なる神様は、赦しの神だから、ますます、その赦しのもとにあなたの罪を打ち明けなさいということが意図されているように思うのです。
悔い改めとイエス様の十字架の受難を瞑想するということは、つまり、この私の犯した罪を認め、そのために、主イエス様が十字架で死んで下さったということを覚えることに他なりません。しかし、それは、「あなたを赦したい」という神様の深い憐れみの故に開かれている恵みであり、強制的に善なる者へ変えようというようなものではないことを覚えたいのです。
主なる神様が、ご自分の御子の命を捧げても構わないほどに私たちを愛して下さっている。その事実を覚えることが、何より大切な悔い改めであると言えるのではないでしょうか。