詩篇38:2 主よ、怒ってわたしを責めないでください。憤って懲らしめないでください。
38:3 あなたの矢はわたしを射抜き 御手はわたしを押さえつけています。
38:4 わたしの肉にはまともなところもありません あなたが激しく憤られたからです。骨にも安らぎがありません わたしが過ちを犯したからです。
38:5 わたしの罪悪は頭を越えるほどになり 耐え難い重荷となっています。
38:6 負わされた傷は膿んで悪臭を放ちます わたしが愚かな行いをしたからです。
38:7 わたしは身を屈め、深くうなだれ 一日中、嘆きつつ歩きます。
38:8 腰はただれに覆われています。わたしの肉にはまともなところもありません。
38:9 もう立てないほど打ち砕かれ 心は呻き、うなり声をあげるだけです。
昨日、元建築士の方の国会での証人喚問も様子がテレビのニュースで流れているのを見ました。
世間の誰もが悪人呼ばわりする中、私はその人の「弱い自分がいて、やめられなかった」という発言を聞き、悪人ではなく、罪人なのだということを感じました。
罪人であるということは、私も同じであるということです。
誰もが、自分のうちに「弱い自分」がいるはずです。
彼の場合、たまたまそれが大きな問題となり、被害が甚大なものになってしまっただけで、私たち一人一人も、常に同じ過ちを犯しているということを忘れてはならないと思うのです。
詩篇38篇の祈りの言葉は、まるで、彼の心の内を物語っているかのように思えてきます。と同時に、私たち一人一人の心の内にある祈りの言葉でもあるということを覚えたいものです。
詩篇34:18 主は助けを求める人の叫びを聞き 苦難から常に彼らを助け出される。
34:19 主は打ち砕かれた心に近くいまし 悔いる霊を救ってくださる。
世の中のルールを破り、法を犯した者は、世の中のルール、法によって裁きを受けなければなりません。
しかし、慈愛に満ちた主なる神は、砕かれた悔いた心をご覧になり、赦しを与えて下さるお方。
悔いる者に、主の豊かな慰めと救いがありますよう、お祈りします。