創世記41:46 ヨセフは、エジプトの王ファラオの前に立ったとき三十歳であった。ヨセフはファラオの前をたって、エジプト全国を巡回した。
41:47 豊作の七年の間、大地は豊かな実りに満ち溢れた。
41:48 ヨセフはその七年の間に、エジプトの国中の食糧をできるかぎり集め、その食糧を町々に蓄えさせた。町の周囲の畑にできた食糧を、その町の中に蓄えさせたのである。
41:49 ヨセフは、海辺の砂ほども多くの穀物を蓄え、ついに量りきれなくなったので、量るのをやめた。
41:50 飢饉の年がやって来る前に、ヨセフに二人の息子が生まれた。この子供を産んだのは、オンの祭司ポティ・フェラの娘アセナトである。
41:51 ヨセフは長男をマナセ(忘れさせる)と名付けて言った。「神が、わたしの苦労と父の家のことをすべて忘れさせてくださった。」
41:52 また、次男をエフライム(増やす)と名付けて言った。「神は、悩みの地で、わたしに子孫を増やしてくださった。」
30歳になって、ようやく、ヨセフにも平和で穏やかな日々が訪れました。
ヨセフは、今までの辛い人生と、現在の幸いな状況とを覚え、生まれた子供たちに「マナセ(忘れさせる)」「エフライム(増やす)」と名づけました。
この記事を読むときに、「忘れる」ということは、必ずしも悪いことばかりではないのだなあと思わされます。
辛いことや悲しい事があったとき、たとえどんなに時間が経っても、それを忘れることができるのなら、幸いなことであり、願わくは、辛く悲しい記憶は、少しずつでもいいから、幸いな記憶に塗り替えられて行って欲しいと願うものです。
イエス様と出会い、イエス様を信じるようになってから、私自身も、少しずつ、辛かった時の事を忘れつつあります。そして、だんだんと、神様が祝福して下さったことばかりが記憶に残るようになってきました。
きっと、それも、イエス様の祝福の証なのだろうと思います。
詩篇103:1 わたしの魂よ、主をたたえよ。わたしの内にあるものはこぞって聖なる御名をたたえよ。
103:2 わたしの魂よ、主をたたえよ。主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない。
103:3 主はお前の罪をことごとく赦し病をすべて癒し
103:4 命を墓から贖い出してくださる。慈しみと憐れみの冠を授け
103:5 長らえる限り良いものに満ち足らせ鷲のような若さを新たにしてくださる。
聖書学院で何度も聞いた御言葉です。
主から頂いた恵みを一つ一つ数えていく時、悲しみも喜びへと塗り替えられていき、きっと、大きな大きな喜びで満たして頂ける、と。
今日という1日も、主の恵みを数えながら歩み続けていきたいものです。