創世記32:25 ヤコブは独り後に残った。そのとき、何者かが夜明けまでヤコブと格闘した。
32:26 ところが、その人はヤコブに勝てないとみて、ヤコブの腿の関節を打ったので、格闘をしているうちに腿の関節がはずれた。
32:27 「もう去らせてくれ。夜が明けてしまうから」とその人は言ったが、ヤコブは答えた。「いいえ、祝福してくださるまでは離しません。」
32:28 「お前の名は何というのか」とその人が尋ね、「ヤコブです」と答えると、
32:29 その人は言った。「お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と闘って勝ったからだ。」
32:30 「どうか、あなたのお名前を教えてください」とヤコブが尋ねると、「どうして、わたしの名を尋ねるのか」と言って、ヤコブをその場で祝福した。
32:31 ヤコブは、「わたしは顔と顔とを合わせて神を見たのに、なお生きている」と言って、その場所をペヌエル(神の顔)と名付けた。
兄エサウの報復を恐れ、エサウに対する贈り物を先に行かせたり、万が一のためにと、宿営を二つに分けてまで、身の安全を守ろうとするヤコブは、ヤボクの渡しを渡る際、最後まで一人残り、確かな祝福の約束を得るまではと言って、神様と格闘します。
そこまでしなければ、彼は平安を得ることができなかったのでしょう。
ヤコブのこのような姿を思う時、人間の飽くなき生への執着を見るような思いがします。
人は誰も、最後の最後の瞬間まで、生き続けたいと願うものです。
どんなに病の中で苦しんでいても、肉体は最後の瞬間まで生き続けようと、必死で耐えようとします。それがかえって辛いのかもしれませんが、生き続けたいという願いがあるからこそ、最後までそのような闘いを続けるのでしょう。
伝道3:11 神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を始めから終りまで見極めることは許されていない。
3:12 わたしは知った 人間にとって最も幸福なのは喜び楽しんで一生を送ることだ、と
誰もが幸せで楽しい人生を送りたいと思う。そして、それが永遠に続くことを願う。
聖書には、そんな誰もが持っている願いをかなえてくれる救いの約束が記されている、と私は信じます。