創世記30:1 ラケルは、ヤコブとの間に子供ができないことが分かると、姉をねたむようになり、ヤコブに向かって、「わたしにもぜひ子供を与えてください。与えてくださらなければ、わたしは死にます」と言った。
30:2 ヤコブは激しく怒って、言った。「わたしが神に代われると言うのか。お前の胎に子供を宿らせないのは神御自身なのだ。」
30:3 ラケルは、「わたしの召し使いのビルハがいます。彼女のところに入ってください。彼女が子供を産み、わたしがその子を膝の上に迎えれば、彼女によってわたしも子供を持つことができます」と言った。
30:4 ラケルはヤコブに召し使いビルハを側女として与えたので、ヤコブは彼女のところに入った。
30:5 やがて、ビルハは身ごもってヤコブとの間に男の子を産んだ。
30:6 そのときラケルは、「わたしの訴えを神は正しくお裁き(ディン)になり、わたしの願いを聞き入れ男の子を与えてくださった」と言った。そこで、彼女はその子をダンと名付けた。
30:7 ラケルの召し使いビルハはまた身ごもって、ヤコブとの間に二人目の男の子を産んだ。
30:8 そのときラケルは、「姉と死に物狂いの争いをして(ニフタル)、ついに勝った」と言って、その名をナフタリと名付けた。
創世記30章には、前章の29章に続いて、ヤコブの妻ラケルと姉のレアの、それぞれの奴隷も含めた、子供たちの誕生のいきさつが記されています。
それはまさに、骨肉の争いとも言えるほどの壮絶な争いのごとく記されていて、どちらが、より多くの子供を生むかのごとく、競い合っている様子が伺えます。
このような状況は、少子化の進む現代の日本では到底考えられないことかもしれません。というのも、今の日本では、どちらかと言うと、親の収入は限られていて、子育てにかけられる費用に制限があるため、より豊かに育てていくためには、子供は少ないほうが良いと考える方のほうが多いのかもしれません。あるいは、将来的には、親の残した遺産を子供たちが分け合うため、子供が少ない方が、より多くの分け前を与えることができるかのように、「子供は少ない方が良い」というような
考え方をもっている方もいるかもしれません。
しかし、聖書における祝福とは、「あなたの子孫は星の数ほを増えていくであろう」というようなものであり、子供が多く与えられるということは、一つの祝福として語られているように思います。
生活費に幾らとか、教育費に幾らとか、そういうことばかり考えていたら、子育ては息が詰まってしまいます。それよりも、この子たちが大きくなって、どんな働きを担う人になっていくだろうかとか、どんな経験をして感動を覚えてくれるだろうとか、きっと神様と共に歩む人生を送る中で、素晴らしい喜びを見出してくれるだろうと思うと、子供が多いということは、それだけで恵みなのだろうなあと思います。
我が家には、1年生を筆頭に、男の子が4人。
いつも「頼もしいですね」と言われますが、ヤコブに比べれば、3分の1。
でも、大変だけど、楽しいですね。
この子供たちが健やかに成長していくことができるために、まず、この私が神様と共に歩み、救われた喜びと平安に満たされて歩ませていただきたいものです。