創世記25章 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

創世記25:21 イサクは、妻に子供ができなかったので、妻のために主に祈った。その祈りは主に聞き入れられ、妻リベカは身ごもった。
25:22 ところが、胎内で子供たちが押し合うので、リベカは、「これでは、わたしはどうなるのでしょう」と言って、主の御心を尋ねるために出かけた。
25:23 主は彼女に言われた。「二つの国民があなたの胎内に宿っており二つの民があなたの腹の内で分かれ争っている。一つの民が他の民より強くなり兄が弟に仕えるようになる。」
25:24 月が満ちて出産の時が来ると、胎内にはまさしく双子がいた。

我が家には、4歳になる双子の男の子がいます。
この子たちが生まれる前、周囲の人から「なんて名前にするの?エサウとヤコブ?」などと聞かれたことがあります。既に、長男にヨシュアという名前の子がいたために、次も聖書の人物に違いないと思われたのでしょう。
でも、エサウとヤコブでは、エサウになったほうが可愛そうな気がします。
さらにひどいのは「カインとアベル?」と聞いてきた方もいました。
それ以来、絶対に、聖書の人物の名前をつけまいと決心しました。
結局、二人には、翼と聖哉と名づけたのですが、今度は、「どうして、似たような名前でないの?」と。大きなお世話です。
双子の子供たちが生まれてくると、今度は決まって「どっちがお兄ちゃん?」と聞かれました。そんな時、私たちは「お兄ちゃんは、もう一人別に長男がいます。」と答えるようにしていました。
いつもいつも二人は、似ているだの似ていないだの、互いに比較され続けてきました。一人一人を見てあげて欲しいのに、いつも二人で一組みたいな見方もされます。
これで、どっちかが長男にならなければならなかったなら、きっと、大変だっただろうなあと思います。

アブラハムの息子イサクには、似てない双子、エサウとヤコブが生まれました。そして、彼らにとって、長男の権利を得ると言う事は、大変重要なことだったのです。片や長男の権利を得、神様からの無限の祝福を頂き、もう一方は、歴史の中で埋没していく運命を辿るのだとしたら、これま、まさに、死活問題。父イサクをだましてでも得なければならない権利だったいうことなのでしょう。

ヤコブは、不正を働いてまでして、長男の権利を得ます。こんなことがあって良いのかと思うかもしれませんが、実に、私たち自身の救いの出来事も、不正と言えば不正のようなもの。何の働きもない者が、むしろ、神に敵対していたような者が、神の御子イエス・キリストの十字架の贖いの故に罪赦されて、神の子たる身分を頂くということほど、不正極まりないものはないはずです。

ルカ16:9 そこで、わたしは言っておくが、不正にまみれた富で友達を作りなさい。そうしておけば、金がなくなったとき、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる。

イエス様の十字架の贖いにより、無代価で救われるという、何物にもまさる不正の恵みを、あえて甘んじて受けようではありませんか。