創世記20:11 アブラハムは答えた。「この土地には、神を畏れることが全くないので、わたしは妻のゆえに殺されると思ったのです。
20:12 事実、彼女は、わたしの妹でもあるのです。わたしの父の娘ですが、母の娘ではないのです。それで、わたしの妻となったのです。
20:13 かつて、神がわたしを父の家から離して、さすらいの旅に出されたとき、わたしは妻に、『わたしに尽くすと思って、どこへ行っても、わたしのことを、この人は兄ですと言ってくれないか』と頼んだのです。」
20:14 アビメレクは羊、牛、男女の奴隷などを取ってアブラハムに与え、また、妻サラを返して、
20:15 言った。「この辺りはすべてわたしの領土です。好きな所にお住まいください。」
20:16 また、サラに言った。「わたしは、銀一千シェケルをあなたの兄上に贈りました。それは、あなたとの間のすべての出来事の疑惑を晴らす証拠です。これであなたの名誉は取り戻されるでしょう。」
アブラハムは、ゲラル滞在中、かつてエジプトに寄留していた時と同様、自分の妻サラを妹と偽って、身の安全を確保しようとしました。
アブラハムの妻サラは、アブラハム自身が語っているように、確かに、母親の違う妹であり、嘘を言っているわけではありませんが、欺いていることには違いありません。このような態度は、神様の前に不誠実なものとして受け留められるものでしょう。
十戒の中に、「あなたは偽証してはならない」という戒めがあります。
出エジプト20:16 あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。
この戒めは、単に「嘘をついてはならない」という事を戒めているのではなく、偽証してはならない、つまり、相手を欺くような証言をすることも罪であるということを示していると言えます。
例えば、何も知らないくせに、あたかも何もかも知っているかのごとく語ることも含まれていると言えるでしょうし、逆に、事実を知っているのに、それを言わないでいることも含まれるでしょう。
日本では、今の季節、多くの方が、先祖のことを思いめぐらすことでしょう。お盆には、先祖があの世からこの世に戻ってきて、しばらくの時を子孫と共に過ごし、また後の世に帰って行くのだとか。
このようなことを、あたかも事実当然のことのように語られると、なんとも空しい気持ちになってしまうのですが、では、私が聖書を通して知りえた事実、死者は、イエス・キリストの十字架と復活の事実により、全く新しいよみがえりの命に変えられ、天の御国に招き入れられるのだということ、そのことが、イエス様を信じることで実現するのだと言うことを、どれだけ声を大にして言っているだろうかと思った時、それを言わないのも偽りの生き方なのかもしれないと思わされています。
相手が信じてくれるかどうかは、その人自身の問題。まずは、私自身が神様から示されたことに忠実に生きているかどうか、今一度、自分の信仰を確認しながら、信じたところに従って、誠実に生きていきえるようにしていきたいものです。