2コリント1:12 わたしたちは世の中で、とりわけあなたがたに対して、人間の知恵によってではなく、神から受けた純真と誠実によって、神の恵みの下に行動してきました。このことは、良心も証しするところで、わたしたちの誇りです。
1:13 -14 わたしたちは、あなたがたが読み、また理解できること以外何も書いていません。あなたがたは、わたしたちをある程度理解しているのですから、わたしたちの主イエスの来られる日に、わたしたちにとってもあなたがたが誇りであるように、あなたがたにとってもわたしたちが誇りであることを、十分に理解してもらいたい。
1:15 このような確信に支えられて、わたしは、あなたがたがもう一度恵みを受けるようにと、まずあなたがたのところへ行く計画を立てました。
1:16 そして、そちらを経由してマケドニア州に赴き、マケドニア州から再びそちらに戻って、ユダヤへ送り出してもらおうと考えたのでした。
1:17 このような計画を立てたのは、軽はずみだったでしょうか。それとも、わたしが計画するのは、人間的な考えによることで、わたしにとって「然り、然り」が同時に「否、否」となるのでしょうか。
1:18 神は真実な方です。だから、あなたがたに向けたわたしたちの言葉は、「然り」であると同時に「否」であるというものではありません。
1:19 わたしたち、つまり、わたしとシルワノとテモテが、あなたがたの間で宣べ伝えた神の子イエス・キリストは、「然り」と同時に「否」となったような方ではありません。この方においては「然り」だけが実現したのです。
1:20 神の約束は、ことごとくこの方において「然り」となったからです。それで、わたしたちは神をたたえるため、この方を通して「アーメン」と唱えます。
この箇所から、当初、パウロが立てていた計画は、コリントに立ち寄り、そこからマケドニヤに行き、再びコリントに戻り、コリントの教会の者たちに送られてユダヤに行こうというものであったことが伺えます。
使徒言行録の記述などと照らし合わせてみると、第3回目の伝道旅行の際、アジア奥地を巡回し、エペソに立ち寄ったパウロは、当初、直接エーゲ海を渡って、コリントのあるアカヤ(ギリシャ)方面へ行き、その後、マケドニヤ方面にも巡回しようとしていたであろうことが伺えるのです。
使徒19:21 このようなことがあった後、パウロは、マケドニア州とアカイア州を通りエルサレムに行こうと決心し、「わたしはそこへ行った後、ローマも見なくてはならない」と言った。
おそらく、この時に立てていた計画が、2コリント1章の箇所に語られているものと同じだったのでしょう。
しかし、パウロの行く手には、予期せぬ出来事が待ち受けていたため、計画の変更を余儀なくされていったようです。あるいは、コリントの教会の人たちの状態を配慮して、今は行くべき時ではないと判断するようなことがあったのかもしれません。
しかし、パウロは、その都度、その時々の最善の働きが何であるかを祈りの中で確認しながら、神の霊の導きに従っていったのです。全ては、パウロが言っているように「人間の知恵によるのではなく、神から受けた純真と誠実によって、神の恵みの下に行動してきた」事の故でした。
私たちの人生においても、様々な予期せぬ出来事によって、予定していたことが計画通りに進まなくなることもあります。しかし、それらの計画が変更されたからといって、そこに、主の御心がないわけではありません。時には遠回りすることになっても、主が導いて下さる道であるならば、神から受けた純真と誠実によって、神の恵みの下にあることを信じて、従って行きたいものですね。