箴言24章 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

箴言24:1 悪者のことに心を燃やすな 彼らと共にいることを望むな。
24:2 悪者が心に思いめぐらすのは暴力。唇が語るのは労苦を引き起こすこと。

箴言24:19 悪事を働く者に怒りを覚えたり 主に逆らう者のことに心を燃やすことはない。
24:20 悪者には未来はない。主に逆らう者の灯は消える。
24:21 わが子よ、主を、そして王を、畏れよ。変化を求める者らと関係を持つな。

私たちは、不正な悪事を働く人たちに対し、怒りを覚えるものです。しかし、その背後には、どこか、私たちも彼らのように振舞えたら、と願う心があるのかもしれません。その証拠に、悪事を働いて、不正な富を蓄えている人たちを、ある意味、ねたましく思ってしまうことがあるのも事実だからです。
聖書において、主なる神様が、そのような者たちと交わることを戒めているのは、私たちが、簡単にそのような者たちとの交わりの中に引きずり込まれていくことを知っているからなのでしょう。
ですから、私たちも、いつ、悪事を働く者たちと同化してしまうかもしれない危険性のなかに置かれているということを覚えておきたいものです。

俗に「朱に交われば赤くなる」ということわざがありますが、誰と接するか、何をするかによって、人は簡単に、その生き方に染まって行ってしまいます。
だからこそ、どう生きるか、誰と共に歩んでいくかということは、私たちの人生にとって、大変、重要な課題であるということを覚え、誰と共に歩むべきかということについて、よくよく吟味して歩ませて頂きたいものです。

1コリント6:12 「わたしには、すべてのことが許されている。」しかし、すべてのことが益になるわけではない。「わたしには、すべてのことが許されている。」しかし、わたしは何事にも支配されはしない。
6:13 食物は腹のため、腹は食物のためにあるが、神はそのいずれをも滅ぼされます。体はみだらな行いのためではなく、主のためにあり、主は体のためにおられるのです。
6:14 神は、主を復活させ、また、その力によってわたしたちをも復活させてくださいます。
6:15 あなたがたは、自分の体がキリストの体の一部だとは知らないのか。キリストの体の一部を娼婦の体の一部としてもよいのか。決してそうではない。
6:16 娼婦と交わる者はその女と一つの体となる、ということを知らないのですか。「二人は一体となる」と言われています。
6:17 しかし、主に結び付く者は主と一つの霊となるのです。
6:18 みだらな行いを避けなさい。人が犯す罪はすべて体の外にあります。しかし、みだらな行いをする者は、自分の体に対して罪を犯しているのです。
6:19 知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。
6:20 あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を現しなさい。

この世の中で、どのように生きていくか、それぞれの自由な裁量に委ねられています。実際、何をしても良いのです。しかし、何をしても良いけれど、何をしても有益であるかどうかは、また別の問題です。せめて、主の尊い贖いによって「神のもの」とせられたならば、神と共に歩み、神の影響によって感化された生き方を実践して行きたいものですね。