箴言20章 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

箴言20:10 異なる二種類のおもり、異なる二種類の枡、そのどちらも主に忌みきらわれる。
20:11 幼子でさえ、何かするとき、その行ないが純粋なのかどうか、正しいのかどうかを明らかにする。
20:12 聞く耳と、見る目とは、二つとも主が造られたもの。

いわゆる「ダブル・スタンダード」という言葉があります。
二つの基準、異なる標準。
かつて、ビデオテープの仕様にVHSとベータの2種類あり、今、次世代DVDに、ブルーレイとHDDVDの2種類あるというようなものではなく、一つの国や、あるいは、同一の人間が、自分たちの身勝手な都合で、相手や状況に応じて異なった態度を取ったりすることであり、すなわち、裏表のあるような偽りの生き方をしていることを言い表しています。

例えば、私が講壇から、どんなに声高らかに「神を愛し、隣人を愛しましょう」と叫びつつ、ひとたび家に帰ると、子供たちをガミガミ叱り飛ばしていてばかりだとしたら、それこそ「異なる2種類のおもり、異なる2種類の枡」を用いる偽りの者となってしまうでしょう。
子供たちは、そういうことには敏感に反応します。大人たちの言葉、大人たちの態度に、2種類のおもりがないかどうか、よく見、よく聞いています。そして、この大人は信用できるかどうか、確かめているのです。

神様を信じるということは、聖書の御言葉を聞き、それに従っていくことも含めて、はじめて「信じる」と言う風に言えるのでしょう。
もちろん、完全とはいかないまでも、御言葉に聞き従って生きて行こうとする姿勢が大切なのだろうと思います。それが主と共に生きることであり、イエス様に罪赦され、救われた者の生きる道なのでしょう。

せめて、口で言っていることと、自分のやっていることとが遊離しないよう、ありのままの自分のままで、素直な言葉を用いながら、己の罪を主に告白しつつ、主の赦しの約束を頂いて、主に従う生き方を全うしていきたいものです。
そうすることで、子供にも信頼される大人になれるでしょう。そして、子供に信頼される人は、きっと、大人にも信頼され、主に用いられる人となることでしょう。