イザヤ34:1 国々よ。近づいて聞け。諸国の民よ。耳を傾けよ。地と、それに満ちるもの、世界と、そこから生え出たすべてのものよ。聞け。
34:2 主がすべての国に向かって怒り、すべての軍勢に向かって憤り、彼らを聖絶し、彼らが虐殺されるままにされたからだ。
34:3 彼らの殺された者は投げやられ、その死体は悪臭を放ち、山々は、その血によって溶ける。
34:4 天の万象は朽ち果て、天は巻き物のように巻かれる。その万象は、枯れ落ちる。ぶどうの木から葉が枯れ落ちるように。いちじくの木から葉が枯れ落ちるように。
イザヤ34章には、この世界に対する神様の裁きの言葉が記されています。
そこには、この世界が荒廃していく様子が描かれており、神の燃える怒りによって、地上の民も滅ぼされていくであろうということが語られています。
私たちは、このような裁きの言葉にも真摯に耳を傾け、誠実に受け止めていかなければなりません。というのも、神は真実で正しい方ですから、意味も無く、お怒りになられることはないからです。
何故、神が怒っておられるのか、そのことに心を留めなければ、真実な悔い改めや、その後に約束されている救いの恵みを見る事はできません。
神がお怒りになられるには、必ず理由があるはずです。
そして、罪のない者にまで、同様な裁きをもたらすお方でもないのです。
イザヤ34:8 それは主の復讐の日であり、シオンの訴えのために仇を返す年である。
主なる神様は、神を信じ、従おうとする者に対し、暴虐を振舞うような民に対して、このような厳しい裁きを持って臨まれるのです。
それは、裁かれる者がいる一方で、虐げられていた者たちにとっては、救いの日となりうるでしょう。
私たちを虐げているもの、それは、人間だけではありません。人間の思いや考え、あるいは、恐れ、不安など、私たちが人として生きていく上で、その歩みを虐げるものも全て含んでいるのです。そして、その最大の敵が「死」でありましょう。
主イエス様が十字架の御業を通して闘い、勝利されたのも、この「死」に対するものであり、神様は、「死」の支配者たる、悪魔に対しても、完全に勝利をし、荒廃をもたらして下さるのです。
1コリント15:53 朽ちるものは、必ず朽ちないものを着なければならず、死ぬものは、必ず不死を着なければならないからです。
15:54 しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた。」としるされている、みことばが実現します。
15:55 「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」
イエス様の死に対する勝利、それは、完全な勝利であり、もう二度と、私たちを悩ませるようなものではないのです。
このような主なる神の御言葉の約束に心を留めて、恐れることなく、この地上における生をまっとうさせていただきたいものです。