イザヤ30章には、頼りにならない、この世の空しいものに頼って生き続けようとするイスラエルの民に対し、本当に頼るべきお方、主なる神様のもとに立ち返るようにと、神様が呼びかけている様子が描かれています。
イザヤ30:1 「ああ。反逆の子ら。・・主の御告げ。・・彼らははかりごとをめぐらすが、わたしによらず、同盟を結ぶが、わたしの霊によらず、罪に罪を増し加えるばかりだ。
30:2 彼らはエジプトに下って行こうとするが、わたしの指示をあおごうとしない。パロの保護のもとに身を避け、エジプトの陰に隠れようとする。
30:3 しかし、パロの保護にたよることは、あなたがたの恥をもたらし、エジプトの陰に身を隠すことは、侮辱をもたらす。
30:4 その首長たちがツォアンにいても、その使者たちがハネスに着いても、
30:5 彼らはみな、自分たちの役に立たない民のため、はずかしめられる。その民は彼らの助けとならず、役にも立たない。かえって、恥となり、そしりとなる。」
当時、イスラエルの国は、北はアッシリヤ、南はエジプトという強大な国の狭間にあって、どうやって生き延びていくべきか、切実な問題に悩まされていたことでしょう。
今の時代に生きる私たちにとっても、この世の中で生きていく限り、どう立ち振る舞って行くべきかということは、常に頭を悩ます問題です。仕事のこと、家庭のこと、地域との関わりなど、実に様々なことと関わっていかなければならないのですが、ともすると、主に頼ることを忘れ、自分の考え、自分の都合ばかりを優先して、物事を考えてしまいがちです。
その結果、ここに記されているように、役にも立たず、かえって恥となり、そしりとなるようなことになりかねないのです。
しかし、ここで覚えておきたいことは、そんな自分勝手な生き方を続けている私たちを、主なる神様は決してお見捨てにはなられないということです。
本来なら「どうしようもない奴だ」とあきれられても仕方が無いようなところ、主なる神様は、それでも、私たちのことを愛し、神様に信頼して生きるようになることを待ち望み続けていらっしゃるのです。
イザヤ30:18 それゆえ、主はあなたがたに恵もうと待っておられ、あなたがたをあわれもうと立ち上がられる。主は正義の神であるからだ。幸いなことよ。主を待ち望むすべての者は。
神様に敵対し、背を向けて歩んできたような私たちを、主なる神様は、なんとも忍耐強く、悔い改めて立ち返ることを待ち続けて下さるのです。
なぜなら、神のもとに立ち返ることこそが、本当の幸いへの道であるからなのです。
ああ、主なる神様は、なんと真実な愛のお方なのでしょう。
私たちを常に恵もうとし、あわれもうとして下さる主に感謝するばかりです。