2テモテ4:9 あなたは、何とかして、早く私のところに来てください。
4:10 デマスは今の世を愛し、私を捨ててテサロニケに行ってしまい、また、クレスケンスはガラテヤに、テトスはダルマテヤに行ったからです。
4:11 ルカだけは私とともにおります。マルコを伴って、いっしょに来てください。彼は私の務めのために役に立つからです。
自分の最後の時が近づいていたことを悟ったパウロは、テモテに手紙を送り、役に立つしもべマルコを伴って来るようにお願いしています。
マルコと言えば、マルコの福音書の著者である人物と考えられていて、比較的初期の頃からのイエス様の目撃者の一人であった人物であろうと思われます。
使徒の働き12章12節等の記述から、イエス様の弟子のペテロたちとも親しくしており、一説によると、語学の苦手だったペテロの片腕となり、ペテロの通訳者として用いられたのではないかと言われていて、ペテロの手紙を翻訳したのも彼ではないかとも考えられているようです。
しかし、このマルコは、使徒の働き15章37節以下の記述によると、パウロとバルナバたちの第1回目の伝道旅行の際、途中でエルサレムに帰ってしまったらしく、そのような者を連れていくべきではないと主張するパウロと、連れて行くべきであると主張するバルナバとの間で、互いに反目しあい、結局、いとこでもあったバルナバは、マルコを連れてキプロス方面へ出かけて行くことになるのです。
そのマルコに対し、後にパウロがこのような呼びかけをして、テモテと共に来てくれるように願っているということは、バルナバが忍耐強くマルコを励まし、役に立つ人物と呼ばれるまでに指導していったのかもしれません。
そう考えると、私は、バルナバという人物の人を見る目というか、一度の失敗で人を決め付けてしまわず、忍耐強く整えていくことのできる彼の賜物は、実に素晴らしいものであるように思います。
今の時代、どんな働きの場においても、即戦力となるような有益な人材ばかりが求められています。しかし、それよりも、時間をかけてでも、人を育てていくことは、もっと大切なことのように思います。
バルナバという名前は「慰めの子」という意味だそうです。マルコにチャンスを与え、時間をかけて励ましていったバルナバの心には、きっと、神様の憐れみにも似た、慰めの心が満ちていたのでしょう。
私も、そういう慰めの心を持って、人と接する者とならせていただきたいものです。
1コリント3:7 それで、たいせつなのは、植える者でも水を注ぐ者でもありません。成長させてくださる神なのです。