イザヤ14章1~32節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

イザヤ14章では、イスラエルを苦しめた、バビロンに対する神の裁きの宣告が語られています。

イザヤ14:12 暁の子、明けの明星よ。どうしてあなたは天から落ちたのか。国々を打ち破った者よ。どうしてあなたは地に切り倒されたのか。
14:13 あなたは心の中で言った。『私は天に上ろう。神の星々のはるか上に私の王座を上げ、北の果てにある会合の山にすわろう。
14:14 密雲の頂に上り、いと高き方のようになろう。』
14:15 しかし、あなたはよみに落とされ、穴の底に落とされる。

バビロンの罪は、ずばり、驕り高ぶっていたことです。
しかし、それは、富や権力を持ち、力を行使している者たちだけに当てはまるものではありません。小さな者でも、貧しい者でも、もし、主なる神を信じようとせず、主に従おうとしないならば、それも主の御前に驕り高ぶっていることに他ならないからです。
神を主であると認めることは、この方に自分が従っていくということであり、神の語られる御言葉に素直に従っていくことが求められています。

ルカ10:25 すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスをためそうとして言った。「先生。何をしたら永遠のいのちを自分のものとして受けることができるでしょうか。」
10:26 イエスは言われた。「律法には、何と書いてありますか。あなたはどう読んでいますか。」
10:27 すると彼は答えて言った。「『心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』また『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』とあります。」
10:28 イエスは言われた。「そのとおりです。それを実行しなさい。そうすれば、いのちを得ます。」

神様を主と崇め、従っていくということは、神を愛し、隣人を愛していくことであると言えるでしょう。実は、これこそが一番難しいことなのかもしれないのですが、せめて、この御言葉に従って生きて行きたいという願いだけは常に携えていたいものです。