マタイ21章41~46節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

イエス様がパリサイ派の人たちに「キリストは誰の子だと思うか」とお尋ねになられた時、彼らは「ダビデの子だ」と答えました。
旧約聖書によると、確かに、ダビデの子孫の中に、そのようなメシアなるキリストが現れるであろうということが預言されています。

2サムエル7:12 あなたの日数が満ち、あなたがあなたの先祖たちとともに眠るとき、わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子を、あなたのあとに起こし、彼の王国を確立させる。
7:13 彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしはその王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。
7:14 わたしは彼にとって父となり、彼はわたしにとって子となる。もし彼が罪を犯すときは、わたしは人の杖、人の子のむちをもって彼を懲らしめる。
7:15 しかし、わたしは、あなたの前からサウルを取り除いて、わたしの恵みをサウルから取り去ったが、わたしの恵みをそのように、彼から取り去ることはない。
7:16 あなたの家とあなたの王国とは、わたしの前にとこしえまでも続き、あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ。」

この言葉は、預言者ナタンを通してダビデに語られた「御国の世継ぎの預言」の言葉なのですが、ここに、はっきりと、「わたしは彼にとって父となり、彼はわたしにとって子となる」と語られ、メシアなるキリストは、文字通り「神の子」としておいでになられるであろうということが語られています。
ダビデの子孫でありつつも、ダビデに語られた主なる神の御子、それが、メシアであり、キリストなのです。
普通なら、祖先であるはずのものが、自分の子孫のうちに生まれる者を「主」として受け入れる事はありません。しかし、「神の子」なるキリストは、そのような方法で、ダビデの家系にお生まれになられ、「祖先をも祝福なさるお方」として、未来だけでなく、過去に向かっても、神の民を祝福なさるお方であると言えるのです。

私たちの救い主、キリストなるイエス様は、私たちにとっても、未来に向かってだけでなく、過去に向かっても、私たちの主であられ、私たちを祝福して下さるかたです。
それは、私たちが神様を知らないで過ごしていた日の出来事をも含め、私たちの人生の全てを、十字架の血潮で清め、聖なるものとしてくださるからなのです。
そんな、時の概念をも超えた、恵みの主イエス・キリストを、私の主として受け入れ、感謝したいものですね。