詩篇140篇 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

詩篇140篇には、ダビデが、自分に敵対する者たちの手から救って下さるように、神様に助けを求めている祈りの言葉が記されています。
この中で、ダビデは、よこしまな者たち、暴虐を働く者たちの上に、神の正しい裁きがもたらされるように願っており、一見すると、ちょっと厳しい裁きの言葉のようにも思えます。

詩篇140:8 主よ、わたしの神よ、救いの力よ わたしが武器を執る日 先頭に立ってわたしを守ってください。
140:9 主よ 主に逆らう者に欲望を満たすことを許さず たくらみを遂げさせず 誇ることを許さないでください。
140:10 わたしを包囲する者は 自分の唇の毒を頭にかぶるがよい。
140:11 火の雨がその上に降り注ぎ 泥沼に沈められ 再び立ち上がることのないように。

11節の箇所では、「火の雨が降り注ぎ」(新共同訳)と、非常に過激な表現が用いられています。
しかし、新改訳聖書では「燃える炭火」となっていて、意図しているところは同じでも、若干、表現が異なっていることに気が付きます。

以前、クリスチャンになられたばかりの方が、「ローマ12章20節に記されている、『頭に燃える炭火を積む』とはどういう意味ですか?」と尋ねられたことがあります。
私も、あまり気に留めたことのない表現だったので、聖書を調べてみると、箴言25章に、同じような表現が記されていて、おそらく、ローマの手紙を記したパウロが、ここから引用したものであろうということがわかりました。

箴言25:21 あなたを憎む者が飢えているならパンを与えよ。渇いているなら水を飲ませよ。
25:22 こうしてあなたは炭火を彼の頭に積む。そして主があなたに報いられる。

もし、あなたに敵対している者に対し、あなたが憐れみをかけ、パンを与え、水を飲ませるなら、きっと、あなたに敵対している者たちは、自分のしていることを恥じ入るでしょうし、悔い改めを迫られることでしょう。
同様に、ダビデの思いの中にも、いわれのない敵対意識を持つ者たちに対し、真実な悔い改めと、和解をもたらすことができるのだとしたら、それは、神による裁きしか成り立たないものであるということを知っていたのかもしれません。
神がもたらす、燃える炭火、それは、ペンテコステの日に、多くの信徒たちに下った真実の御霊、聖霊と同様に、私たちに真実を示し、真実な悔い改めへと導いて下さるお方であるということを示しているかもしれません。
それは、再び怒りや嫉妬、恨みなどの悪の力によって立ちあがるのではなく、喜び、平安、感謝な心で立ち上がらせて下さるものではないでしょうか。

神の裁きとは、悪を打ち、悔い改める者を立ち上がらせて下さる、幸いなものであることを覚え、神のなさる正しい裁きを期待したいものです。