約束の地カナンへの進出を恐れ、神の御心に背いたイスラエルの民は、エフネの子カレブと、ヌンの子ヨシュアの二人を除いて、全員が息絶えるまで、荒野での40年の生活を続けなければならなくなりました。
これは、まさに、神様の徹底した背反者に対する裁きの結果であり、不信の者を排除する唯一の方法であったと言えるでしょう。
このことは、私たちの肉なる思いの徹底的な排除と、新たな命への更新と重なっているように思えます。
聖書には、私たちの肉なる体は、二度と朽ちることのない全く新しい体に変えられなければならないということが語られています。
1コリント15:50 兄弟たち、わたしはこう言いたいのです。肉と血は神の国を受け継ぐことはできず、朽ちるものが朽ちないものを受け継ぐことはできません。
15:51 わたしはあなたがたに神秘を告げます。わたしたちは皆、眠りにつくわけではありません。わたしたちは皆、今とは異なる状態に変えられます。
15:52 最後のラッパが鳴るとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は復活して朽ちない者とされ、わたしたちは変えられます。
15:53 この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを必ず着ることになります。
15:54 この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを着るとき、次のように書かれている言葉が実現するのです。「死は勝利にのみ込まれた。
15:55 死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前のとげはどこにあるのか。」
神の御心に反する物は、全て、御心に適う物に変えられなければなりません。
私たちの今の肉体も、いつか栄光の体に変えられなければならない時がきます。
しかし、イスラエルの民の中に、たった二人ではありますが、カレブとヨシュアがいたということは、私たちにとっての大きな慰めです。この罪の体の中に、イエス・キリストの故に、新しい命が宿っているということ。
それが、どんなに小さな存在であっても、私たちのうちに住まわれる、キリストにある新しい命に従って歩むことができますように願っています。