歴代誌上28章 | 聖書日課 デボーションノート

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聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

歴代誌上28章は、前日の22章の記事に続いて、ダビデの神殿建設に対する熱情の深さが記されている箇所であると言えます。
22章において、すでに、神殿建設において必要な、金、銀、青銅、材木、石などに加え、石工や大工などの人材も全て準備し、あとは、建設に取り掛かるのみというところまで整えていたことが記されていますが、28章では、さらに、神殿の設計図までもが用意され、ほぼ、100%、神殿建設に必要なものをダビデ自身がそろえてしまっているという事実が伺えるのです。
もはや、これは、この神殿建設の偉業がダビデの功績によるものであると言っても過言ではないほど、誰の目にも明らかな事実のように思えるのですが、聖書は、あくまで、ダビデではなく、ダビデの息子ソロモンが神殿を建てたという事だけを告げようとしているのです。
これほどの準備をしたにも関わらず、なぜ、ダビデの偉業としてではなく、ソロモンの偉業として後世に語られる事になるのか。
もちろん、聖書には、ダビデは、多くの血を流してきたからという理由が語られていますが、それ以上に、神様の定める時というものが影響しているように思えます。
ダビデの時代には、神殿建設に必要な、全ての材料、人材、設計図、その他、必要なものは、全て用意されていた。にも関わらず、いざ、実行に移すことが出来なかったのは、そこに、神様の摂理があり、「まだ時ではない」という静かなメッセージだけが響いているのです。

ヨハネ7:6 そこで、イエスは言われた。「わたしの時はまだ来ていない。しかし、あなたがたの時はいつも備えられている。
7:7 世はあなたがたを憎むことができないが、わたしを憎んでいる。わたしが、世の行っている業は悪いと証ししているからだ。
7:8 あなたがたは祭りに上って行くがよい。わたしはこの祭りには上って行かない。まだ、わたしの時が来ていないからである。」

イエス様は、この時、エルサレムの神殿で行われていた、仮庵祭という祭りには上って行かないと仰せられました。その理由は、ご自分の時がまだ来ていないからというものです。
イエス様の時とは、十字架にかけられて、全ての人の罪の償いを成し遂げる、その時であり、イエス様は、そのために、人として、この世にお生まれになり、その目的を達成するために、全ての必要な業を成し遂げていかれたのです。

ダビデにはダビデの、ソロモンにはソロモンの、そして、私たちにも私たちの生きる目的があります。その時が来る事を静かに待つことも、私たちに与えられた使命なのでしょう。
待つとは、すなわち、信じる事です。
慌しい現代にあって、静かに待つことの大切さを覚えながら、歩ませていただきたいものですね。