創世記33章1~17節、詩篇37篇、1コリント11章2~16節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

創世記 33:1 ヤコブが目を上げると、エサウが四百人の者を引き連れて来るのが見えた。ヤコブは子供たちをそれぞれ、レアとラケルと二人の側女とに分け、
33:2 側女とその子供たちを前に、レアとその子供たちをその後に、ラケルとヨセフを最後に置いた。
33:3 ヤコブはそれから、先頭に進み出て、兄のもとに着くまでに七度地にひれ伏した。
33:4 エサウは走って来てヤコブを迎え、抱き締め、首を抱えて口づけし、共に泣いた。
33:5 やがて、エサウは顔を上げ、女たちや子供たちを見回して尋ねた。「一緒にいるこの人々は誰なのか。」「あなたの僕であるわたしに、神が恵んでくださった子供たちです。」ヤコブが答えると、
33:6 側女たちが子供たちと共に進み出てひれ伏し、
33:7 次に、レアが子供たちと共に進み出てひれ伏し、最後に、ヨセフとラケルが進み出てひれ伏した。
33:8 エサウは尋ねた。「今、わたしが出会ったあの多くの家畜は何のつもりか。」ヤコブが、「御主人様の好意を得るためです」と答えると、
33:9 エサウは言った。「弟よ、わたしのところには何でも十分ある。お前のものはお前が持っていなさい。」
33:10 ヤコブは言った。「いいえ。もし御好意をいただけるのであれば、どうぞ贈り物をお受け取りください。兄上のお顔は、わたしには神の御顔のように見えます。このわたしを温かく迎えてくださったのですから。
33:11 どうか、持参しました贈り物をお納めください。神がわたしに恵みをお与えになったので、わたしは何でも持っていますから。」ヤコブがしきりに勧めたので、エサウは受け取った。
33:12 それからエサウは言った。「さあ、一緒に出かけよう。わたしが先導するから。」
33:13 「御主人様。ご存じのように、子供たちはか弱く、わたしも羊や牛の子に乳を飲ませる世話をしなければなりません。群れは、一日でも無理に追い立てるとみな死んでしまいます。
33:14 どうか御主人様、僕におかまいなく先にお進みください。わたしは、ここにいる家畜や子供たちの歩みに合わせてゆっくり進み、セイルの御主人様のもとへ参りましょう。」ヤコブがこう答えたので、
33:15 エサウは言った。「では、わたしが連れている者を何人か、お前のところに残しておくことにしよう。」「いいえ。それには及びません。御好意だけで十分です」と答えたので、
33:16 エサウは、その日セイルへの道を帰って行った。
33:17 ヤコブはスコトへ行き、自分の家を建て、家畜の小屋を作った。そこで、その場所の名はスコト(小屋)と呼ばれている。

詩篇 38:1  賛歌。ダビデの詩。記念。
38:2 主よ、怒ってわたしを責めないでください。憤って懲らしめないでください。
38:3 あなたの矢はわたしを射抜き 御手はわたしを押さえつけています。
38:4 わたしの肉にはまともなところもありません あなたが激しく憤られたからです。骨にも安らぎがありません わたしが過ちを犯したからです。
38:5 わたしの罪悪は頭を越えるほどになり 耐え難い重荷となっています。
38:6 負わされた傷は膿んで悪臭を放ちます わたしが愚かな行いをしたからです。
38:7 わたしは身を屈め、深くうなだれ 一日中、嘆きつつ歩きます。
38:8 腰はただれに覆われています。わたしの肉にはまともなところもありません。
38:9 もう立てないほど打ち砕かれ 心は呻き、うなり声をあげるだけです。
38:10 わたしの主よ、わたしの願いはすべて御前にあり 嘆きもあなたには隠されていません。
38:11 心は動転し、力はわたしを見捨て 目の光もまた、去りました。
38:12 疫病にかかったわたしを 愛する者も友も避けて立ち わたしに近い者も、遠く離れて立ちます。
38:13 わたしの命をねらう者は罠を仕掛けます。わたしに災いを望む者は 欺こう、破滅させよう、と決めて 一日中それを口にしています。
38:14 わたしの耳は聞こえないかのように 聞こうとしません。口は話せないかのように、開こうとしません。
38:15 わたしは聞くことのできない者 口に抗議する力もない者となりました。
38:16 主よ、わたしはなお、あなたを待ち望みます。わたしの主よ、わたしの神よ 御自身でわたしに答えてください。
38:17 わたしは願いました 「わたしの足がよろめくことのないように 彼らがそれを喜んで 尊大にふるまうことがないように」と。
38:18 わたしは今や、倒れそうになっています。苦痛を与えるものが常にわたしの前にあり
38:19 わたしは自分の罪悪を言い表そうとして 犯した過ちのゆえに苦悩しています。
38:20 わたしの敵は強大になり わたしを憎む者らは偽りを重ね
38:21 善意に悪意をもってこたえます。わたしは彼らの幸いを願うのに 彼らは敵対するのです。
38:22 主よ、わたしを見捨てないでください。わたしの神よ、遠く離れないでください。
38:23 わたしの救い、わたしの主よ すぐにわたしを助けてください。

1コリント 11:2 あなたがたが、何かにつけわたしを思い出し、わたしがあなたがたに伝えたとおりに、伝えられた教えを守っているのは、立派だと思います。
11:3 ここであなたがたに知っておいてほしいのは、すべての男の頭はキリスト、女の頭は男、そしてキリストの頭は神であるということです。
11:4 男はだれでも祈ったり、預言したりする際に、頭に物をかぶるなら、自分の頭を侮辱することになります。
11:5 女はだれでも祈ったり、預言したりする際に、頭に物をかぶらないなら、その頭を侮辱することになります。それは、髪の毛をそり落としたのと同じだからです。
11:6 女が頭に物をかぶらないなら、髪の毛を切ってしまいなさい。女にとって髪の毛を切ったり、そり落としたりするのが恥ずかしいことなら、頭に物をかぶるべきです。
11:7 男は神の姿と栄光を映す者ですから、頭に物をかぶるべきではありません。しかし、女は男の栄光を映す者です。
11:8 というのは、男が女から出て来たのではなく、女が男から出て来たのだし、
11:9 男が女のために造られたのではなく、女が男のために造られたのだからです。
11:10 だから、女は天使たちのために、頭に力の印をかぶるべきです。
11:11 いずれにせよ、主においては、男なしに女はなく、女なしに男はありません。
11:12 それは女が男から出たように、男も女から生まれ、また、すべてのものが神から出ているからです。
11:13 自分で判断しなさい。女が頭に何もかぶらないで神に祈るのが、ふさわしいかどうか。
11:14 -15男は長い髪が恥であるのに対し、女は長い髪が誉れとなることを、自然そのものがあなたがたに教えていないでしょうか。長い髪は、かぶり物の代わりに女に与えられているのです。
11:16 この点について異論を唱えたい人がいるとしても、そのような習慣は、わたしたちにも神の教会にもありません。


女性は男性に比べて、一般的に力が弱かったり、スポーツ等で同じ条件で戦うことは難しいと言われている。
しかし、男女平等を間違った仕方で捉えてしまうと、男も女も同じだから、何でも同じ条件で競わせたり、過ごしたりすべき、ということにもなりかねない。
平等と公平は違う、とよく言われる。
平等は、条件などはみな同じ、一方、公平はというと、弱い立場にある人たちも同じように参加できるように配慮がなされていくことに主眼が置かれる。
聖書における男女に関する記述は、明らかに平等なものではない。
しかし、公平であるかと言うと、必ずしもそうではない面もあるだろう。
それよりも、それぞれに特徴や個性を生かし、自分に与えられている役割を担っていく事が重視されているように見える。
平等とか公平といったことは大切な概念だが、それによって、みなが同じで、個性も役割もない共同体というのは、ただのコピーの集まりとなってしまう。
聖書では、教会はキリストを頭とする体であり、互いに結び合わされて共に生きる共同体である、と語られている。
強そうにみえる部分だけでなく、弱い部分のように見える器官も必要である。
それぞれに創られた意味や目的があるのだろう。
それが分かっていることは幸いだが、分からなくても、共に生きようとしていく中で見えてくることもある。
人は一人では生きていけない。
共同体のなかで交わりを保って行くなかで、自分を見いだし、自分として生きていけるものであるということを覚えたい。