歴代誌下35章20~27節、詩篇71篇1~6節、使徒19章1~10節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

歴代誌下 35:20 ヨシヤが神殿を整えるために行ったこれらのすべての事の後、エジプトの王ネコがユーフラテス川の近くのカルケミシュを攻めようとして上って来た。ヨシヤはこれを迎え撃つために出陣した。
35:21 しかしネコは使いを送って言った。「ユダの王よ、わたしはあなたと何のかかわりがあろうか。今日攻めて来たのはあなたに対してではなく、わたしが敵とする家に対してである。神はわたしに急ぐようにと命じられた。わたしと共にいる神に逆らわずにいなさい。さもなければ、神はあなたを滅ぼされる。」
35:22 しかし、ヨシヤは引き返さず、攻撃のために変装して、神の口から出たネコの言葉を聞かなかった。そして彼はメギド平野の戦いに臨んだ。
35:23 射手たちがヨシヤ王を射た。王が家臣たちに、「傷は重い。わたしを運び出してくれ」と言ったので、
35:24 家臣たちは王を戦車から降ろし、王の第二の車に乗せてエルサレムに連れ帰った。王は死んで、先祖の墓に葬られた。ユダとエルサレムのすべての人々がヨシヤの死を嘆いた。
35:25 エレミヤはヨシヤを悼んで哀歌を作った。男女のすべての歌い手がその哀歌によってヨシヤを語り伝えるようになり、今日に至っている。それがイスラエルの定めとなり、歌は『哀歌』に記されている。
35:26 ヨシヤの他の事績および主の律法に忠実に従った行為の数々は、
35:27 初期のことも後期のことも、『イスラエルとユダの列王の書』に記されている。

詩篇 71:1 主よ、御もとに身を寄せます。とこしえに恥に落とすことなく
71:2 恵みの御業によって助け、逃れさせてください。あなたの耳をわたしに傾け、お救いください。
71:3 常に身を避けるための住まい、岩となり わたしを救おうと定めてください。あなたはわたしの大岩、わたしの砦。
71:4 わたしの神よ、あなたに逆らう者の手から 悪事を働く者、不法を働く者の手から わたしを逃れさせてください。
71:5 主よ、あなたはわたしの希望。主よ、わたしは若いときからあなたに依り頼み
71:6 母の胎にあるときから あなたに依りすがって来ました。あなたは母の腹から わたしを取り上げてくださいました。わたしは常にあなたを賛美します。

使徒 19:1 アポロがコリントにいたときのことである。パウロは、内陸の地方を通ってエフェソに下って来て、何人かの弟子に出会い、
19:2 彼らに、「信仰に入ったとき、聖霊を受けましたか」と言うと、彼らは、「いいえ、聖霊があるかどうか、聞いたこともありません」と言った。
19:3 パウロが、「それなら、どんな洗礼を受けたのですか」と言うと、「ヨハネの洗礼です」と言った。
19:4 そこで、パウロは言った。「ヨハネは、自分の後から来る方、つまりイエスを信じるようにと、民に告げて、悔い改めの洗礼を授けたのです。」
19:5 人々はこれを聞いて主イエスの名によって洗礼を受けた。
19:6 パウロが彼らの上に手を置くと、聖霊が降り、その人たちは異言を話したり、預言をしたりした。
19:7 この人たちは、皆で十二人ほどであった。
19:8 パウロは会堂に入って、三か月間、神の国のことについて大胆に論じ、人々を説得しようとした。
19:9 しかしある者たちが、かたくなで信じようとはせず、会衆の前でこの道を非難したので、パウロは彼らから離れ、弟子たちをも退かせ、ティラノという人の講堂で毎日論じていた。
19:10 このようなことが二年も続いたので、アジア州に住む者は、ユダヤ人であれギリシア人であれ、だれもが主の言葉を聞くことになった。


人はなかなか今までやってきたことを変えようとは思わない。
もちろん、新しいことには興味はあっても、価値観や生活スタイルを変えていくことにはエネルギーも必要だから、なかなか今までの慣習を変えていくことが出来ないのである。
パウロが宣教の旅に出かけていた時も、当時は今と違って、簡単に様々な情報が手に入るわけではなく、外部から人が訪ねて来て、ようやく外界からの情報を入手することができたし、それらの情報も、その人しか知らないものである以上、なかなか閉ざされた町で暮らしている人達にとっては、信じがたいものとなりがちであったことは仕方がないことなのかもしれない。
当時はまだまだ一つの町が一つの国家のようなスタイルのところもあったであろうし、領主の意向によって様々なルールが定められることも少なからずあったのだろう。
そんな閉鎖された時代に、パウロらは果敢に福音を宣べ伝えていったのである。
時には迫害されたり、命の危機にさらされることもあったようであるが、それでもパウロは人々にキリストの福音を宣べ伝えていったのである。
人を救い、真実な命と祝福を与える福音の言葉は、いつの時代でも人を本当の意味で生かすことのできる幸いな約束である。
願わくは、私たちも今の時代に生きる人たちにお伝えしていきたいものである。
困難であることは最初から分かっている事だが、神がそれをお求めなのだから、救われる人たちがいる限り、私たちにもできることがあれば続けていきたい。