エレミヤ3章19~25節、詩篇36篇6~11節、1コリント7章1~7節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

エレミヤ 3:19 わたしは思っていた。「子らの中でも、お前には何をしようか。お前に望ましい土地 あらゆる国の中で 最も麗しい地を継がせよう」と。そして、思った。「わが父と、お前はわたしを呼んでいる。わたしから離れることはあるまい」と。
3:20 だが、妻が夫を欺くように イスラエルの家よ、お前はわたしを欺いたと 主は言われる。
3:21 裸の山々に声が聞こえる イスラエルの子らの嘆き訴える声が。彼らはその道を曲げ 主なる神を忘れたからだ。
3:22 「背信の子らよ、立ち帰れ。わたしは背いたお前たちをいやす。」「我々はあなたのもとに参ります。あなたこそ我々の主なる神です。
3:23 まことに、どの丘の祭りも 山々での騒ぎも偽りにすぎません。まことに、我々の主なる神に イスラエルの救いがあるのです。
3:24 我々の若いときから 恥ずべきバアルが食い尽くしてきました 先祖たちが労して得たものを その羊、牛、息子、娘らを。
3:25 我々は恥の中に横たわり 辱めに覆われています。我々は主なる神に罪を犯しました。我々も、先祖も 若いときから今日に至るまで 主なる神の御声に聞き従いませんでした。」

詩篇 36:6 主よ、あなたの慈しみは天に あなたの真実は大空に満ちている。
36:7 恵みの御業は神の山々のよう あなたの裁きは大いなる深淵。主よ、あなたは人をも獣をも救われる。
36:8 神よ、慈しみはいかに貴いことか。あなたの翼の陰に人の子らは身を寄せ
36:9 あなたの家に滴る恵みに潤い あなたの甘美な流れに渇きを癒す。
36:10 命の泉はあなたにあり あなたの光に、わたしたちは光を見る。
36:11 あなたを知る人の上に 慈しみが常にありますように。心のまっすぐな人の上に 恵みの御業が常にありますように。

1コリント 7:1 そちらから書いてよこしたことについて言えば、男は女に触れない方がよい。
7:2 しかし、みだらな行いを避けるために、男はめいめい自分の妻を持ち、また、女はめいめい自分の夫を持ちなさい。
7:3 夫は妻に、その務めを果たし、同様に妻も夫にその務めを果たしなさい。
7:4 妻は自分の体を意のままにする権利を持たず、夫がそれを持っています。同じように、夫も自分の体を意のままにする権利を持たず、妻がそれを持っているのです。
7:5 互いに相手を拒んではいけません。ただ、納得しあったうえで、専ら祈りに時を過ごすためにしばらく別れ、また一緒になるというなら話は別です。あなたがたが自分を抑制する力がないのに乗じて、サタンが誘惑しないともかぎらないからです。
7:6 もっとも、わたしは、そうしても差し支えないと言うのであって、そうしなさい、と命じるつもりはありません。
7:7 わたしとしては、皆がわたしのように独りでいてほしい。しかし、人はそれぞれ神から賜物をいただいているのですから、人によって生き方が違います。



夫婦の関係性というのは、とても神秘的であり、かつ、実践的でもある。
神秘的というのは、それを神が定めたものであるという意味であり、神は人を男と女とに作られ、互いに助け合う相手として夫婦の関係を定められたことに注目したい。
お互いが好きとか嫌いとか、そういった感情的なことだけではなく、共に生きていくと誓い、なおかつその約束を実践していく場として夫婦というものがある。
それぞれもとは他人であった者が、同じ家に住み、共に時間を過ごし、互いに協力し合って様々なことを担っていく。
意見が対立することもあるかもしれないし、思考や行動が受け入れられないことも時にはあるだろう。
しかし、夫婦の関係のみならず、そういったことは、人が人と共に生きていく社会においては、とても大切なことであろう。
だから、人としてどう生きていくかということを日々の暮らしの中で体験し、学んでいくことのできる夫婦の関係というのは、とても意味のあることだと思う。
もちろん、全ての人が結婚するわけではないし、現代のように男と女が結ばれて夫婦となる以外の関係性も受け入れられつつあるのかもしれないが、基本は他人と他人、人と人が共に生きていくことに違いない。
心も体も背中を向き合って信頼関係を損ない、人と人とが対立していては、人と人とが共に生きる人間の幸いな生き方を構築していくことはできない。
まずは顔と顔とを向き合わせ、互いの思いを聞き、受け取っていくことから始めたい。
むしろそれが全てなのではないだろうか。
神様がいつも私のことを見て、どんなつぶやきにも耳を傾け、いつも一緒にいて下さる幸いを覚え、私もそうであるように努めていきたいものである。