アモス9章8~15節、イザヤ12章2~6節、ルカ1章57~66節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

アモス 9:8 見よ、主なる神は罪に染まった王国に目を向け これを地の面から絶たれる。ただし、わたしはヤコブの家を全滅させはしないと 主は言われる。
9:9 見よ、わたしは命令を下し イスラエルの家を諸国民の間でふるいにかける。ふるいにかけても 小石ひとつ地に落ちないように。
9:10 わが民の中で罪ある者は皆、剣で死ぬ。彼らは、災いは我々に及ばず 近づくこともない、と言っている。
9:11 その日には わたしはダビデの倒れた仮庵を復興し その破れを修復し、廃虚を復興して 昔の日のように建て直す。
9:12 こうして、エドムの生き残りの者と わが名をもって呼ばれるすべての国を 彼らに所有させよう、と主は言われる。主はこのことを行われる。
9:13 見よ、その日が来れば、と主は言われる。耕す者は、刈り入れる者に続き ぶどうを踏む者は、種蒔く者に続く。山々はぶどうの汁を滴らせ すべての丘は溶けて流れる。
9:14 わたしは、わが民イスラエルの繁栄を回復する。彼らは荒された町を建て直して住み ぶどう畑を作って、ぶどう酒を飲み 園を造って、実りを食べる。
9:15 わたしは彼らをその土地に植え付ける。わたしが与えた地から 再び彼らが引き抜かれることは決してないと あなたの神なる主は言われる。

イザヤ 12:2 見よ、わたしを救われる神。わたしは信頼して、恐れない。主こそわたしの力、わたしの歌 わたしの救いとなってくださった。」
12:3 あなたたちは喜びのうちに 救いの泉から水を汲む。
12:4 その日には、あなたたちは言うであろう。「主に感謝し、御名を呼べ。諸国の民に御業を示し 気高い御名を告げ知らせよ。
12:5 主にほめ歌をうたえ。主は威厳を示された。全世界にその御業を示せ。
12:6 シオンに住む者よ 叫び声をあげ、喜び歌え。イスラエルの聖なる方は あなたたちのただ中にいます大いなる方。」

ルカ 1:57 さて、月が満ちて、エリサベトは男の子を産んだ。
1:58 近所の人々や親類は、主がエリサベトを大いに慈しまれたと聞いて喜び合った。
1:59 八日目に、その子に割礼を施すために来た人々は、父の名を取ってザカリアと名付けようとした。
1:60 ところが、母は、「いいえ、名はヨハネとしなければなりません」と言った。
1:61 しかし人々は、「あなたの親類には、そういう名の付いた人はだれもいない」と言い、
1:62 父親に、「この子に何と名を付けたいか」と手振りで尋ねた。
1:63 父親は字を書く板を出させて、「この子の名はヨハネ」と書いたので、人々は皆驚いた。
1:64 すると、たちまちザカリアは口が開き、舌がほどけ、神を賛美し始めた。
1:65 近所の人々は皆恐れを感じた。そして、このことすべてが、ユダヤの山里中で話題になった。
1:66 聞いた人々は皆これを心に留め、「いったい、この子はどんな人になるのだろうか」と言った。この子には主の力が及んでいたのである。



私たちの生きる世界では、時に、不思議な出来事も起こる。
バプテスマのヨハネは、高齢になっていたザカリヤ夫婦のもとに生まれ、人々を大いに驚かせた。
当初、周囲の人々は、それを主の慈しみによるものと考えていたが、ザカリヤの口が解け、神を賛美し始めた様子を見て、恐れを感じたと記されている。
ヨハネの誕生が、全て神によるものであると考え始めたからであろう。
不思議な出来事でなくても、私たちの日常生活や周囲で起きる出来事は、それぞれ何等かの意味をもっているだろうし、神のみ手が働いていると思わされることも多い。
偶然起きていると思えばそれまでだが、そこにも神がおられると信じて受け止めていくならば、何が起きようと、感謝や平安でいられるのではないだろうか。
全てが全て、神の御業であると言い切らなくても、私たちを救おうとされた神が私たちと共にいる(インマヌエルな)ということを信じるだけでも良い。

マタイ1:21 マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」
1:22 このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。
1:23 「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。

もうすぐクリスマス。
主なる神様が、私たちを救うために、この世界に人としてお生まれ下さり、今日も共にいて下さることを信じて感謝したい。