イザヤ40章1~11節、詩篇126篇、ローマ8章22~25節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

イザヤ 40:1 慰めよ、わたしの民を慰めよと あなたたちの神は言われる。
40:2 エルサレムの心に語りかけ 彼女に呼びかけよ 苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた、と。罪のすべてに倍する報いを 主の御手から受けた、と。
40:3 呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。
40:4 谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ。
40:5 主の栄光がこうして現れるのを 肉なる者は共に見る。主の口がこう宣言される。
40:6 呼びかけよ、と声は言う。わたしは言う、何と呼びかけたらよいのか、と。肉なる者は皆、草に等しい。永らえても、すべては野の花のようなもの。
40:7 草は枯れ、花はしぼむ。主の風が吹きつけたのだ。この民は草に等しい。
40:8 草は枯れ、花はしぼむが わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ。
40:9 高い山に登れ 良い知らせをシオンに伝える者よ。力を振るって声をあげよ 良い知らせをエルサレムに伝える者よ。声をあげよ、恐れるな ユダの町々に告げよ。見よ、あなたたちの神
40:10 見よ、主なる神。彼は力を帯びて来られ 御腕をもって統治される。見よ、主のかち得られたものは御もとに従い 主の働きの実りは御前を進む。
40:11 主は羊飼いとして群れを養い、御腕をもって集め 小羊をふところに抱き、その母を導いて行かれる。

詩篇 126:1  都に上る歌。 主がシオンの捕われ人を連れ帰られると聞いて わたしたちは夢を見ている人のようになった。
126:2 そのときには、わたしたちの口に笑いが 舌に喜びの歌が満ちるであろう。そのときには、国々も言うであろう 「主はこの人々に、大きな業を成し遂げられた」と。
126:3 主よ、わたしたちのために 大きな業を成し遂げてください。わたしたちは喜び祝うでしょう。
126:4 主よ、ネゲブに川の流れを導くかのように わたしたちの捕われ人を連れ帰ってください。
126:5 涙と共に種を蒔く人は 喜びの歌と共に刈り入れる。
126:6 種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は 束ねた穂を背負い 喜びの歌をうたいながら帰ってくる。

ローマ 8:22 被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。
8:23 被造物だけでなく、"霊"の初穂をいただいているわたしたちも、神の子とされること、つまり、体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます。
8:24 わたしたちは、このような希望によって救われているのです。見えるものに対する希望は希望ではありません。現に見ているものをだれがなお望むでしょうか。
8:25 わたしたちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです。



昨日、礼拝のあと、玄関ホールである信徒の方が別の信徒の方と話し合っておられたので、そっと近づいて話しに加わった。
どうやら、一人の方が足を低温やけどしたらしく、痛みがひどく、どこの医者に行こうか相談してるようである。
片方の足は膝を痛めていて、もう片方が低温やけどで歩き辛いとのことである。
お医者さんのことは全く分からないし、下手な治療法など知る由もなく、しばらくあいずちを打ちながら聞いていたが、「自分には癒しの賜物はないけど、祈っていいですか?」と言って、一緒に祈ることにした。
大きな事はできないし、必要な助けなど何もできないかもしれない。
自分には何もできないけれど、痛みや辛さに寄り添ってあげられたなら、それでいいのだろう。
ましてや、イエス様は私たちを助けるために命まで捨てられたお方である。
この方にお委ねして祈ることが私たちにできる最善の業と心得よう。