ダニエル8章15~27節、詩篇13篇、ヘブル10章32~39節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

ダニエル 8:15 わたしダニエルは、この幻を見ながら、意味を知りたいと願っていた。その時、見よ、わたしに向かって勇士のような姿が現れた。
8:16 すると、ウライ川から人の声がしてこう言った。「ガブリエル、幻をこの人に説明せよ。」
8:17 彼がわたしの立っている所に近づいて来たので、わたしは恐れてひれ伏した。彼はわたしに言った。「人の子よ、この幻は終わりの時に関するものだということを悟りなさい。」
8:18 彼がこう話している間に、わたしは気を失って地に倒れたが、彼はわたしを捕らえて立ち上がらせ、
8:19 こう言った。「見よ、この怒りの時の終わりに何が起こるかをお前に示そう。定められた時には終わりがある。
8:20 お前の見た二本の角のある雄羊はメディアとペルシアの王である。
8:21 また、あの毛深い雄山羊はギリシアの王である。その額の大きな角は第一の王だ。
8:22 その角が折れて代わりに四本の角が生えたが、それはこの国から、それほどの力を持たない四つの国が立つということである。
8:23 四つの国の終わりに、その罪悪の極みとして 高慢で狡猾な一人の王が起こる。
8:24 自力によらずに強大になり 驚くべき破壊を行い、ほしいままにふるまい 力ある者、聖なる民を滅ぼす。
8:25 才知にたけ その手にかかればどんな悪だくみも成功し 驕り高ぶり、平然として多くの人を滅ぼす。ついに最も大いなる君に敵対し 人の手によらずに滅ぼされる。
8:26 この夜と朝の幻について わたしの言うことは真実だ。しかし、お前は見たことを秘密にしておきなさい。まだその日は遠い。」
8:27 わたしダニエルは疲れ果てて、何日か病気になっていた。その後、起きて宮廷の務めに戻った。しかし、この幻にぼう然となり、理解できずにいた。

詩篇 13:1  指揮者によって。賛歌。ダビデの詩。 
13:2 いつまで、主よ わたしを忘れておられるのか。いつまで、御顔をわたしから隠しておられるのか。
13:3 いつまで、わたしの魂は思い煩い 日々の嘆きが心を去らないのか。いつまで、敵はわたしに向かって誇るのか。
13:4 わたしの神、主よ、顧みてわたしに答え わたしの目に光を与えてください 死の眠りに就くことのないように
13:5 敵が勝ったと思うことのないように わたしを苦しめる者が 動揺するわたしを見て喜ぶことのないように。
13:6 あなたの慈しみに依り頼みます。わたしの心は御救いに喜び躍り 主に向かって歌います 「主はわたしに報いてくださった」と。

ヘブル 10:32 あなたがたは、光に照らされた後、苦しい大きな戦いによく耐えた初めのころのことを、思い出してください。
10:33 あざけられ、苦しめられて、見せ物にされたこともあり、このような目に遭った人たちの仲間となったこともありました。
10:34 実際、捕らえられた人たちと苦しみを共にしたし、また、自分がもっとすばらしい、いつまでも残るものを持っていると知っているので、財産を奪われても、喜んで耐え忍んだのです。
10:35 だから、自分の確信を捨ててはいけません。この確信には大きな報いがあります。
10:36 神の御心を行って約束されたものを受けるためには、忍耐が必要なのです。
10:37 「もう少しすると、来るべき方がおいでになる。遅れられることはない。
10:38 わたしの正しい者は信仰によって生きる。もしひるむようなことがあれば、その者はわたしの心に適わない。」
10:39 しかし、わたしたちは、ひるんで滅びる者ではなく、信仰によって命を確保する者です。



いつの時代でも、身の回りで起きていることは、なかなか思うようにはいかないものである。
だから、様々な困難な状況も経験するし、試練と思われるようなことにも遭遇するだろう。
でも、人の世とはそういうものであろう。
もし、世の中が何もかも思い通りに進んでいるとしたら、それは、自分が神であるか、あるいは、神を自分の思うままに操り、偶像化しているかのどちらかであろう。
自分を神とするのも、自分を偶像化しているだけだから、結局は、偶像を崇拝する生き方でしかない。
この世には様々な困難なことがあり、なぜ神はこの世界を放置しておられるのか、と考える時があるかもしれないが、我々人間の思い描く理想の世界にならなければ神は存在しないと考えるのは、人間の欲望を優先しおうとしているから出てくる考え方であり、筋違いというものであろう。
この世界で起きている様々な困難や試練は、そのほとんどが人間の手によって作りだされたものである。
しかし、神の時がくれば、それぞれの行いに応じて神が裁かれる時が来るだろう。
その時、私たちはどう対応すべきであろうか。
その時になって慌てふため、愚かな決断をしないよう、今この時から心の備えをしておきたい。
まずは、主なる神を信じ、その救いの約束にあずかるものとされていることをしっかりと心に留めて、今の時を歩んで行こう。
それでよい。