ミカ6章1~8節、詩篇51篇、ヨハネ13章31~35節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

ミカ 6:1 聞け、主の言われることを。立って、告発せよ、山々の前で。峰々にお前の声を聞かせよ。
6:2 聞け、山々よ、主の告発を。とこしえの地の基よ。主は御自分の民を告発し イスラエルと争われる。
6:3 「わが民よ。わたしはお前に何をしたというのか。何をもってお前を疲れさせたのか。わたしに答えよ。
6:4 わたしはお前をエジプトの国から導き上り 奴隷の家から贖った。また、モーセとアロンとミリアムを お前の前に遣わした。
6:5 わが民よ、思い起こすがよい。モアブの王バラクが何をたくらみ ベオルの子バラムがそれに何と答えたかを。シティムからギルガルまでのことを思い起こし 主の恵みの御業をわきまえるがよい。」
6:6 何をもって、わたしは主の御前に出で いと高き神にぬかずくべきか。焼き尽くす献げ物として 当歳の子牛をもって御前に出るべきか。
6:7 主は喜ばれるだろうか 幾千の雄羊、幾万の油の流れを。わが咎を償うために長子を 自分の罪のために胎の実をささげるべきか。
6:8 人よ、何が善であり 主が何をお前に求めておられるかは お前に告げられている。正義を行い、慈しみを愛し へりくだって神と共に歩むこと、これである。

詩篇 51:1  指揮者によって。賛歌。ダビデの詩。
51:2 ダビデがバト・シェバと通じたので預言者ナタンがダビデのもとに来たとき。
51:3 神よ、わたしを憐れんでください 御慈しみをもって。深い御憐れみをもって 背きの罪をぬぐってください。
51:4 わたしの咎をことごとく洗い 罪から清めてください。
51:5 あなたに背いたことをわたしは知っています。わたしの罪は常にわたしの前に置かれています。
51:6 あなたに、あなたのみにわたしは罪を犯し 御目に悪事と見られることをしました。あなたの言われることは正しく あなたの裁きに誤りはありません。
51:7 わたしは咎のうちに産み落とされ 母がわたしを身ごもったときも わたしは罪のうちにあったのです。
51:8 あなたは秘儀ではなくまことを望み 秘術を排して知恵を悟らせてくださいます。
51:9 ヒソプの枝でわたしの罪を払ってください わたしが清くなるように。わたしを洗ってください 雪よりも白くなるように。
51:10 喜び祝う声を聞かせてください あなたによって砕かれたこの骨が喜び躍るように。
51:11 わたしの罪に御顔を向けず 咎をことごとくぬぐってください。
51:12 神よ、わたしの内に清い心を創造し 新しく確かな霊を授けてください。
51:13 御前からわたしを退けず あなたの聖なる霊を取り上げないでください。
51:14 御救いの喜びを再びわたしに味わわせ 自由の霊によって支えてください。
51:15 わたしはあなたの道を教えます あなたに背いている者に 罪人が御もとに立ち帰るように。
51:16 神よ、わたしの救いの神よ 流血の災いからわたしを救い出してください。恵みの御業をこの舌は喜び歌います。
51:17 主よ、わたしの唇を開いてください この口はあなたの賛美を歌います。
51:18 もしいけにえがあなたに喜ばれ 焼き尽くす献げ物が御旨にかなうのなら わたしはそれをささげます。
51:19 しかし、神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を 神よ、あなたは侮られません。
51:20 御旨のままにシオンを恵み エルサレムの城壁を築いてください。
51:21 そのときには、正しいいけにえも 焼き尽くす完全な献げ物も、あなたに喜ばれ そのときには、あなたの祭壇に 雄牛がささげられるでしょう。

ヨハネ 13:31 さて、ユダが出て行くと、イエスは言われた。「今や、人の子は栄光を受けた。神も人の子によって栄光をお受けになった。
13:32 神が人の子によって栄光をお受けになったのであれば、神も御自身によって人の子に栄光をお与えになる。しかも、すぐにお与えになる。
13:33 子たちよ、いましばらく、わたしはあなたがたと共にいる。あなたがたはわたしを捜すだろう。『わたしが行く所にあなたたちは来ることができない』とユダヤ人たちに言ったように、今、あなたがたにも同じことを言っておく。
13:34 あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。
13:35 互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。」



ルターが宗教改革を行った時、人々が免罪符を購入することにより、それで満足してしまい、悔い改める機会を損なってしまう事を危惧していた。
しかし、それよりも重大なことは、人々がキリストの十字架を必要としなくなることで、そのことを最も害悪な事と考えていた。
どんないけにえや捧げものを持ってしても、私たちの罪を償う事はできないし、私たちの罪を贖うことのできるのは、神の子イエス様の十字架の贖いの御業をおいて他には存在しないのである。
だから、キリストの十字架の御業をないがしろにするような行為に対して、ルターは徹底して戦っていったし、キリストの十字架の言葉を宣べ伝えていくことこそが最も大切なことと考え、聖書の翻訳や母国語での礼拝なども推し進めていったと言われている。
ルターの関心事は「人が正しい方法で救われる事」であり、それは、神がそれほど人を愛しているということを知って欲しいが故のことであった。
聖書における律法や戒めなども、多少厳しく語られているケースもあるが、それほど神が真剣に人が救われることを願っておられるからこそであることを思う。
人に救われて欲しい、人に滅んでほしくない、だからこそ、時には厳しく感じられるほどの言い回しもなさることもあるが、神の本心が愛であることを覚えたいものである。