レビ記19章32~37節、詩篇119篇1~8節、ローマ3章21~31節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

レビ記 19:32 白髪の人の前では起立し、長老を尊び、あなたの神を畏れなさい。わたしは主である。
19:33 寄留者があなたの土地に共に住んでいるなら、彼を虐げてはならない。
19:34 あなたたちのもとに寄留する者をあなたたちのうちの土地に生まれた者同様に扱い、自分自身のように愛しなさい。なぜなら、あなたたちもエジプトの国においては寄留者であったからである。わたしはあなたたちの神、主である。
19:35 あなたたちは、不正な物差し、秤、升を用いてはならない。
19:36 正しい天秤、正しい重り、正しい升、正しい容器を用いなさい。わたしは、あなたたちをエジプトの国から導き出したあなたたちの神、主である。
19:37 わたしのすべての掟、すべての法を守り、それを行いなさい。わたしは主である。

詩篇 119:1 いかに幸いなことでしょう まったき道を踏み、主の律法に歩む人は。
119:2 いかに幸いなことでしょう 主の定めを守り 心を尽くしてそれを尋ね求める人は。
119:3 彼らは決して不正を行わず 主の道を歩みます。
119:4 あなたは仰せになりました あなたの命令を固く守るように、と。
119:5 わたしの道が確かになることを願います あなたの掟を守るために。
119:6 そうなれば、あなたのどの戒めに照らしても 恥じ入ることがないでしょう。
119:7 あなたの正しい裁きを学び まっすぐな心であなたに感謝します。
119:8 あなたの掟を守ります。どうか、お見捨てにならないでください。

ローマ 3:21 ところが今や、律法とは関係なく、しかも律法と預言者によって立証されて、神の義が示されました。
3:22 すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。そこには何の差別もありません。
3:23 人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、
3:24 ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。
3:25 神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供え物となさいました。それは、今まで人が犯した罪を見逃して、神の義をお示しになるためです。
3:26 このように神は忍耐してこられたが、今この時に義を示されたのは、御自分が正しい方であることを明らかにし、イエスを信じる者を義となさるためです。
3:27 では、人の誇りはどこにあるのか。それは取り除かれました。どんな法則によってか。行いの法則によるのか。そうではない。信仰の法則によってです。
3:28 なぜなら、わたしたちは、人が義とされるのは律法の行いによるのではなく、信仰によると考えるからです。
3:29 それとも、神はユダヤ人だけの神でしょうか。異邦人の神でもないのですか。そうです。異邦人の神でもあります。
3:30 実に、神は唯一だからです。この神は、割礼のある者を信仰のゆえに義とし、割礼のない者をも信仰によって義としてくださるのです。
3:31 それでは、わたしたちは信仰によって、律法を無にするのか。決してそうではない。むしろ、律法を確立するのです。



良いことを行う人が褒められ、悪いことを行った人が裁かれるのは、正しいことである。
しかし、主なる神様はこれと真逆のことをなさった。
罪を犯している者を赦すために、正しい人がその裁きを身代わりに引き受けられたのである。
そしてそれが神の義である、というのである。
主なる神様がそこまでされた理由は、ただただ神が愛のお方であり、たとえご自分が犠牲になろうとも、私たちを救いたいと願われたからである。
もちろん、もともとの義を捻じ曲げられたわけでもない。
きちんと、罪に対する処罰をイエス様が全て引き受けられ、罪人が罰せられるという裁きも完了している。
だからこそ、私たちの救いも完璧なのである。
イエス様の命がけの愛による救いの約束は、中途半端なものではなく、完全なものなのである。
それほどに愛されていることを素直に喜びたい。
神の律法を全く守れていないにも関わらず、あたかも守れている者であるかのように神の御前に立たせて頂ける幸いを、大いに喜ぼう。

 119:1 いかに幸いなことでしょう まったき道を踏み、主の律法に歩む人は。
119:2 いかに幸いなことでしょう 主の定めを守り 心を尽くしてそれを尋ね求める人は。