出エジプト記4章1~17節、詩篇119篇17~24節、1ペテロ2章1~10節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

出エジプト記 4:1 モーセは逆らって、「それでも彼らは、『主がお前などに現れるはずがない』と言って、信用せず、わたしの言うことを聞かないでしょう」と言うと、
4:2 主は彼に、「あなたが手に持っているものは何か」と言われた。彼が、「杖です」と答えると、
4:3 主は、「それを地面に投げよ」と言われた。彼が杖を地面に投げると、それが蛇になったのでモーセは飛びのいた。
4:4 主はモーセに、「手を伸ばして、尾をつかめ」と言われた。モーセが手を伸ばしてつかむと、それは手の中で杖に戻った。
4:5 「こうすれば、彼らは先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、主があなたに現れたことを信じる。」
4:6 主は更に、「あなたの手をふところに入れなさい」と言われた。モーセは手をふところに入れ、それから出してみると、驚いたことには、手は重い皮膚病にかかり、雪のように白くなっていた。
4:7 主が、「手をふところに戻すがよい」と言われたので、ふところに戻し、それから出してみると、元の肌になっていた。
4:8 「たとえ、彼らがあなたを信用せず、最初のしるしが告げることを聞かないとしても、後のしるしが告げることは信じる。
4:9 しかし、この二つのしるしのどちらも信ぜず、またあなたの言うことも聞かないならば、ナイル川の水をくんできて乾いた地面にまくがよい。川からくんできた水は地面で血に変わるであろう。」
4:10 それでもなお、モーセは主に言った。「ああ、主よ。わたしはもともと弁が立つ方ではありません。あなたが僕にお言葉をかけてくださった今でもやはりそうです。全くわたしは口が重く、舌の重い者なのです。」
4:11 主は彼に言われた。「一体、誰が人間に口を与えたのか。一体、誰が口を利けないようにし、耳を聞こえないようにし、目を見えるようにし、また見えなくするのか。主なるわたしではないか。
4:12 さあ、行くがよい。このわたしがあなたの口と共にあって、あなたが語るべきことを教えよう。」
4:13 モーセは、なおも言った。「ああ主よ。どうぞ、だれかほかの人を見つけてお遣わしください。」
4:14 主はついに、モーセに向かって怒りを発して言われた。「あなたにはレビ人アロンという兄弟がいるではないか。わたしは彼が雄弁なことを知っている。その彼が今、あなたに会おうとして、こちらに向かっている。あなたに会ったら、心から喜ぶであろう。
4:15 彼によく話し、語るべき言葉を彼の口に託すがよい。わたしはあなたの口と共にあり、また彼の口と共にあって、あなたたちのなすべきことを教えよう。
4:16 彼はあなたに代わって民に語る。彼はあなたの口となり、あなたは彼に対して神の代わりとなる。
4:17 あなたはこの杖を手に取って、しるしを行うがよい。」

詩篇 119:17 あなたの僕のためにお計らいください わたしは命を得て、御言葉を守ります。
119:18 わたしの目の覆いを払ってください あなたの律法の驚くべき力に わたしは目を注ぎます。
119:19 この地では宿り人にすぎないわたしに あなたの戒めを隠さないでください。
119:20 あなたの裁きを望み続け わたしの魂はやつれ果てました。
119:21 呪われるべき傲慢な者をとがめてください あなたの戒めから迷い出る者を。
119:22 辱めと侮りをわたしの上から払ってください あなたの定めを守っているのですから。
119:23 地位ある人々が座に就き わたしのことを謀っていても あなたの僕は あなたの掟にのみ心を砕いていますように。
119:24 あなたの定めはわたしの楽しみです。わたしに良い考えを与えてくれます。

Ⅰペテロ 2:1 だから、悪意、偽り、偽善、ねたみ、悪口をみな捨て去って、
2:2 生まれたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。これを飲んで成長し、救われるようになるためです。
2:3 あなたがたは、主が恵み深い方だということを味わいました。
2:4 この主のもとに来なさい。主は、人々からは見捨てられたのですが、神にとっては選ばれた、尊い、生きた石なのです。
2:5 あなたがた自身も生きた石として用いられ、霊的な家に造り上げられるようにしなさい。そして聖なる祭司となって神に喜ばれる霊的ないけにえを、イエス・キリストを通して献げなさい。
2:6 聖書にこう書いてあるからです。「見よ、わたしは、選ばれた尊いかなめ石を、シオンに置く。これを信じる者は、決して失望することはない。」
2:7 従って、この石は、信じているあなたがたには掛けがえのないものですが、信じない者たちにとっては、「家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった」のであり、
2:8 また、「つまずきの石、妨げの岩」なのです。彼らは御言葉を信じないのでつまずくのですが、実は、そうなるように以前から定められているのです。
2:9 しかし、あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。それは、あなたがたを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、あなたがたが広く伝えるためなのです。
2:10 あなたがたは、「かつては神の民ではなかったが、今は神の民であり、憐れみを受けなかったが、今は憐れみを受けている」のです。




モーセがイスラエルの民をエジプトから救い出すために召された時、モーセ自身に何か特別な力を与えたりとかしたわけではない。
蛇に変わる杖であったり、川を血に変えたり、あげくの果てには、民を説得するために兄のアロンを同行させるというのである。
もはやモーセである必要もないほどである。
しかし、主なる神様は「モーセ」を選び、用いられたのである。
神が働き人を召される時もそういうことなのだろう。
その人自身に何か特別な能力があったからでもなく、召されてから特別な能力が与えられたり、成長を遂げたというわけでもなく、主なる神様がなされる御業を、ただ目撃するだけである。
ただ、それをありのままに正しく証言していくことが大切なのだ。
神の御救いの言葉を語る人もそう。
語る人自身に何か特別な能力が与えられているわけでもないし、何か他者より優れたところがあるわけでもない。
ただの凡人であり、罪人に過ぎない。
しかし、神のなされたことを、聖書に語られていることを忠実に証していくだけである。

Ⅰコリント4:1 こういうわけですから、人はわたしたちをキリストに仕える者、神の秘められた計画をゆだねられた管理者と考えるべきです。
4:2 この場合、管理者に要求されるのは忠実であることです。

私には何もないが、ただ聖書に語られている事を忠実に語り続けていきたい。
それしかできないけれど、それを続けて行こう。
それがいちばん大切なことなのだから。