申命記5章1~21節、詩篇90篇12~17節、ヘブル3章7~19節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

申命記 5:1 モーセは、全イスラエルを呼び集めて言った。イスラエルよ、聞け。今日、わたしは掟と法を語り聞かせる。あなたたちはこれを学び、忠実に守りなさい。
5:2 我々の神、主は、ホレブで我々と契約を結ばれた。
5:3 主はこの契約を我々の先祖と結ばれたのではなく、今ここに生きている我々すべてと結ばれた。
5:4 主は山で、火の中からあなたたちと顔と顔を合わせて語られた。
5:5 わたしはそのとき、主とあなたたちの間に立って主の言葉を告げた。あなたたちが火を恐れて山に登らなかったからである。主は言われた。
5:6 「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。
5:7 あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。
5:8 あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。
5:9 あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。わたしは主、あなたの神。わたしは熱情の神である。わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うが、
5:10 わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える。
5:11 あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。みだりにその名を唱える者を主は罰せずにはおかれない。
5:12 安息日を守ってこれを聖別せよ。あなたの神、主が命じられたとおりに。
5:13 六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、
5:14 七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、牛、ろばなどすべての家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。そうすれば、あなたの男女の奴隷もあなたと同じように休むことができる。
5:15 あなたはかつてエジプトの国で奴隷であったが、あなたの神、主が力ある御手と御腕を伸ばしてあなたを導き出されたことを思い起こさねばならない。そのために、あなたの神、主は安息日を守るよう命じられたのである。
5:16 あなたの父母を敬え。あなたの神、主が命じられたとおりに。そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生き、幸いを得る。
5:17 殺してはならない。
5:18 姦淫してはならない。
5:19 盗んではならない。
5:20 隣人に関して偽証してはならない。
5:21 あなたの隣人の妻を欲してはならない。隣人の家、畑、男女の奴隷、牛、ろばなど、隣人のものを一切欲しがってはならない。」

詩篇 90:12 生涯の日を正しく数えるように教えてください。知恵ある心を得ることができますように。
90:13 主よ、帰って来てください。いつまで捨てておかれるのですか。あなたの僕らを力づけてください。
90:14 朝にはあなたの慈しみに満ち足らせ 生涯、喜び歌い、喜び祝わせてください。
90:15 あなたがわたしたちを苦しめられた日々と 苦難に遭わされた年月を思って わたしたちに喜びを返してください。
90:16 あなたの僕らが御業を仰ぎ 子らもあなたの威光を仰ぐことができますように。
90:17 わたしたちの神、主の喜びが わたしたちの上にありますように。わたしたちの手の働きを わたしたちのために確かなものとし わたしたちの手の働きを どうか確かなものにしてください。

ヘブル 3:7 だから、聖霊がこう言われるとおりです。「今日、あなたたちが神の声を聞くなら、
3:8 荒れ野で試練を受けたころ、神に反抗したときのように、心をかたくなにしてはならない。
3:9 -10荒れ野であなたたちの先祖はわたしを試み、験し、四十年の間わたしの業を見た。だから、わたしは、その時代の者たちに対して憤ってこう言った。『彼らはいつも心が迷っており、わたしの道を認めなかった。』
3:11 そのため、わたしは怒って誓った。『彼らを決してわたしの安息にあずからせはしない』と。」
3:12 兄弟たち、あなたがたのうちに、信仰のない悪い心を抱いて、生ける神から離れてしまう者がないように注意しなさい。
3:13 あなたがたのうちだれ一人、罪に惑わされてかたくなにならないように、「今日」という日のうちに、日々励まし合いなさい。――
3:14 わたしたちは、最初の確信を最後までしっかりと持ち続けるなら、キリストに連なる者となるのです。――
3:15 それについては、次のように言われています。「今日、あなたたちが神の声を聞くなら、神に反抗したときのように、心をかたくなにしてはならない。」
3:16 いったいだれが、神の声を聞いたのに、反抗したのか。モーセを指導者としてエジプトを出たすべての者ではなかったか。
3:17 いったいだれに対して、神は四十年間憤られたのか。罪を犯して、死骸を荒れ野にさらした者に対してではなかったか。
3:18 いったいだれに対して、御自分の安息にあずからせはしないと、誓われたのか。従わなかった者に対してではなかったか。
3:19 このようにして、彼らが安息にあずかることができなかったのは、不信仰のせいであったことがわたしたちに分かるのです。



「今日、あなたたちが神の声を聞くなら、神に反抗したときのように、心をかたくなにしてはならない。」と語られているのは、当然ながら、神のみ言葉を聞く全ての人に当てはまることである。
過去の人、イスラエルの民だけに限った話ではなく、現代に生きる全ての人々人に、私たちにも当てはまることである。
時々、私たちに災いがもたらされるのは、先祖が罪を犯したからだと考える人がいるかもしれないが、一人一人の罪の責任は、その人自身にあり、報いを受けるのはその人自身である。
「そもそも最初の人アダムが罪を犯したために、その罪が子孫に遺伝したのであり、もとはと言えばアダムが悪いのだ」などと考える人もいるかもしれないが、それこそ自分の罪の責任を他者に転嫁しているだけで、その罪を犯しているのは本人でしかない。
それゆえ、主なる神様は一人一人に問われているのである。

我々の神、主は、ホレブで我々と契約を結ばれた。
主はこの契約を我々の先祖と結ばれたのではなく、今ここに生きている我々すべてと結ばれた。
主は山で、火の中からあなたたちと顔と顔を合わせて語られた。

主なる神様は、今日も、今も生きておられる。
そして、私たちに今日も、今も語りかけている。
私たちが生きるもの、命あるものとして生きることが出来るために。
自分の罪を認めようとせず、滅んだものとならぬよう、命与えられたもの、生きているものとして生きられるよう、今日も御言葉に聞き、それに応えていこうではないか。