民数記20章22~29節、詩篇107篇1~3,17~22節、ヨハネ3章1~13節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

民数記 20:22 イスラエルの人々、その共同体全体はカデシュを旅立って、ホル山に着いた。
20:23 ホル山はエドム領との国境にあり、ここで、主はモーセとアロンに言われた。
20:24 「アロンは先祖の列に加えられる。わたしがイスラエルの人々に与える土地に、彼は入ることができない。あなたたちがメリバの水のことでわたしの命令に逆らったからだ。
20:25 アロンとその子エルアザルを連れてホル山に登り、
20:26 アロンの衣を脱がせ、その子エルアザルに着せなさい。アロンはそこで死に、先祖の列に加えられる。」
20:27 モーセは主が命じられたとおりにした。彼らは、共同体全体の見守る中をホル山に登った。
20:28 モーセはアロンの衣を脱がせ、その子エルアザルに着せた。アロンはその山の上で死んだ。モーセとエルアザルが山を下ると、
20:29 共同体全体はアロンが息を引き取ったのを悟り、イスラエルの全家は三十日の間、アロンを悼んで泣いた。

詩篇 107:1 「恵み深い主に感謝せよ 慈しみはとこしえに」と
107:2 主に贖われた人々は唱えよ。主は苦しめる者の手から彼らを贖い
107:3 国々の中から集めてくださった 東から西から、北から南から。
107:17 彼らは、無知であり、背きと罪の道のために 屈従する身になった。
107:18 どの食べ物も彼らの喉には忌むべきもので 彼らは死の門に近づいた。
107:19 苦難の中から主に助けを求めて叫ぶと 主は彼らの苦しみに救いを与えられた。
107:20 主は御言葉を遣わして彼らを癒し 破滅から彼らを救い出された。
107:21 主に感謝せよ。主は慈しみ深く 人の子らに驚くべき御業を成し遂げられる。
107:22 感謝のいけにえをささげ 御業を語り伝え、喜び歌え。

ヨハネ 3:1 さて、ファリサイ派に属する、ニコデモという人がいた。ユダヤ人たちの議員であった。
3:2 ある夜、イエスのもとに来て言った。「ラビ、わたしどもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを、だれも行うことはできないからです。」
3:3 イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」
3:4 ニコデモは言った。「年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。」
3:5 イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。
3:6 肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。
3:7 『あなたがたは新たに生まれねばならない』とあなたに言ったことに、驚いてはならない。
3:8 風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。」
3:9 するとニコデモは、「どうして、そんなことがありえましょうか」と言った。
3:10 イエスは答えて言われた。「あなたはイスラエルの教師でありながら、こんなことが分からないのか。
3:11 はっきり言っておく。わたしたちは知っていることを語り、見たことを証ししているのに、あなたがたはわたしたちの証しを受け入れない。
3:12 わたしが地上のことを話しても信じないとすれば、天上のことを話したところで、どうして信じるだろう。
3:13 天から降って来た者、すなわち人の子のほかには、天に上った者はだれもいない。


人は生まれ、そして、やがて死んでいく。
死は誰も避けることはできないし、早いか遅いかの違いはあっても、必ず誰のもとにも訪れる。
その時、いったいどんな心の準備ができているだろうか。
若い頃は、まさか自分が死ぬなどとはあまり考えようともしないし、考えても無駄のように感じるかもしれない。
けれど、長く生きていると、いろいろなことを経験し、失いたくないことも増えてくるし、命の尊さや儚さも強く感じるようになるだろう。
人は永遠には生きられないが、神のもとでは違う。
神を信じ、神が与える永遠の命を受け取るならば、私たちは永遠に滅びることは無い。
自分の力ではそれを得ることはできないが、神から与えられる恵みによってのみ永遠の命をいただくことができる。
そのために神は御子イエス様を送り、命がけの救いの約束を与えて下さった。
神の恵みを受け取ることはそれほど難しいことではない。
ただ神の約束を信じるだけである。
それは誰にでもできること。
難しく考え過ぎないで、与えられるまま、語られるまま、信じて受け止めていきたいものである。