サムエル記上 2:21 主がハンナを顧みられたので、ハンナは身ごもり、息子を三人と娘を二人産んだ。少年サムエルは主のもとで成長した。
2:22 エリは非常に年老いていた。息子たちがイスラエルの人々すべてに対して行っていることの一部始終、それに、臨在の幕屋の入り口で仕えている女たちとたびたび床を共にしていることも耳にして、
2:23 彼らを諭した。「なぜそのようなことをするのだ。わたしはこの民のすべての者から、お前たちについて悪いうわさを聞かされている。
2:24 息子らよ、それはいけない。主の民が触れ回り、わたしの耳にも入ったうわさはよくない。
2:25 人が人に罪を犯しても、神が間に立ってくださる。だが、人が主に罪を犯したら、誰が執り成してくれよう。」しかし、彼らは父の声に耳を貸そうとしなかった。主は彼らの命を絶とうとしておられた。
詩篇 139:1 指揮者によって。ダビデの詩。賛歌。 主よ、あなたはわたしを究め わたしを知っておられる。
139:2 座るのも立つのも知り 遠くからわたしの計らいを悟っておられる。
139:3 歩くのも伏すのも見分け わたしの道にことごとく通じておられる。
139:4 わたしの舌がまだひと言も語らぬさきに 主よ、あなたはすべてを知っておられる。
139:5 前からも後ろからもわたしを囲み 御手をわたしの上に置いていてくださる。
139:6 その驚くべき知識はわたしを超え あまりにも高くて到達できない。
139:13 あなたは、わたしの内臓を造り 母の胎内にわたしを組み立ててくださった。
139:14 わたしはあなたに感謝をささげる。わたしは恐ろしい力によって 驚くべきものに造り上げられている。御業がどんなに驚くべきものか わたしの魂はよく知っている。
139:15 秘められたところでわたしは造られ 深い地の底で織りなされた。あなたには、わたしの骨も隠されてはいない。
139:16 胎児であったわたしをあなたの目は見ておられた。わたしの日々はあなたの書にすべて記されている まだその一日も造られないうちから。
139:17 あなたの御計らいは わたしにとっていかに貴いことか。神よ、いかにそれは数多いことか。
139:18 数えようとしても、砂の粒より多く その果てを極めたと思っても わたしはなお、あなたの中にいる。
マタイ 25:1 「そこで、天の国は次のようにたとえられる。十人のおとめがそれぞれともし火を持って、花婿を迎えに出て行く。
25:2 そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。
25:3 愚かなおとめたちは、ともし火は持っていたが、油の用意をしていなかった。
25:4 賢いおとめたちは、それぞれのともし火と一緒に、壺に油を入れて持っていた。
25:5 ところが、花婿の来るのが遅れたので、皆眠気がさして眠り込んでしまった。
25:6 真夜中に『花婿だ。迎えに出なさい』と叫ぶ声がした。
25:7 そこで、おとめたちは皆起きて、それぞれのともし火を整えた。
25:8 愚かなおとめたちは、賢いおとめたちに言った。『油を分けてください。わたしたちのともし火は消えそうです。』
25:9 賢いおとめたちは答えた。『分けてあげるほどはありません。それより、店に行って、自分の分を買って来なさい。』
25:10 愚かなおとめたちが買いに行っている間に、花婿が到着して、用意のできている五人は、花婿と一緒に婚宴の席に入り、戸が閉められた。
25:11 その後で、ほかのおとめたちも来て、『御主人様、御主人様、開けてください』と言った。
25:12 しかし主人は、『はっきり言っておく。わたしはお前たちを知らない』と答えた。
25:13 だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。」
詩篇139篇の箇所には、私が座るのも立つのも、それこそ一挙手一投足の全てをご覧になっている。
それどころか、言葉を発する前から、私の思いも把握しておられ、生まれる前から私の全てを形創られたというのである。
もはやお手上げではないだろうか。
そんな「神に創られた者」が、創り主なるお方を忘れ、自分勝手に生きようとしたところで、そのような人生にいったいどんな意味があるのだろうか。
意味はあるにしても、創り主を離れて生きる被造物の生涯など、命が宿っていないも同然と言えるだろう。
マタイ福音書における10人のおとめたちの話では、5人の愚かなおとめらが予備の油を用意しておらず、花婿が帰ってきた時に迎えるための肝心のともし火を灯すことができなかったことが語られている。
花婿が遅れることはないだろうといった身勝手な判断、あるいは、予備の油を用意していくことに対する怠慢さなど、自分の都合だけを優先して行動していたのが問題であったのであろう。
先のことを考えることを怠ったということもあるのだろうが、それよりも、彼らは常に自分中心で自己都合で物事を考えていたために失敗してしまったのであろう。
誰も見ていないところでは、人は手抜きをし、いい加減になる。
しかし、神は全てをご覧になっておられる。
しかも、こんな愚かな者を、物心つく前から、まだ母の胎にいる時から覚えていて下さった。
これほどの愛を受け、神に背を向け、見知らぬ顔をして歩むことは愚の骨頂。
創り主であり、救い主であられる神を、いつも心にお迎えし、感謝と平安のうちを歩み続けていきたいものである。