創世記 17:7 わたしは、あなたとの間に、また後に続く子孫との間に契約を立て、それを永遠の契約とする。そして、あなたとあなたの子孫の神となる。
17:8 わたしは、あなたが滞在しているこのカナンのすべての土地を、あなたとその子孫に、永久の所有地として与える。わたしは彼らの神となる。」
17:9 神はまた、アブラハムに言われた。「だからあなたも、わたしの契約を守りなさい、あなたも後に続く子孫も。
17:10 あなたたち、およびあなたの後に続く子孫と、わたしとの間で守るべき契約はこれである。すなわち、あなたたちの男子はすべて、割礼を受ける。
17:11 包皮の部分を切り取りなさい。これが、わたしとあなたたちとの間の契約のしるしとなる。
17:12 いつの時代でも、あなたたちの男子はすべて、直系の子孫はもちろんのこと、家で生まれた奴隷も、外国人から買い取った奴隷であなたの子孫でない者も皆、生まれてから八日目に割礼を受けなければならない。
17:13 あなたの家で生まれた奴隷も、買い取った奴隷も、必ず割礼を受けなければならない。それによって、わたしの契約はあなたの体に記されて永遠の契約となる。
詩篇 69:1 指揮者によって。「ゆり」に合わせて。ダビデの詩。
69:2 神よ、わたしを救ってください。大水が喉元に達しました。
69:3 わたしは深い沼にはまり込み 足がかりもありません。大水の深い底にまで沈み 奔流がわたしを押し流します。
69:4 叫び続けて疲れ、喉は涸れ わたしの神を待ち望むあまり 目は衰えてしまいました。
69:5 理由もなくわたしを憎む者は この頭の髪よりも数多く いわれなくわたしに敵意を抱く者 滅ぼそうとする者は力を増して行きます。わたしは自分が奪わなかったものすら 償わねばなりません。
69:30 わたしは卑しめられ、苦痛の中にあります。神よ、わたしを高く上げ、救ってください。
69:31 神の御名を賛美してわたしは歌い 御名を告白して、神をあがめます。
69:32 それは雄牛のいけにえよりも 角をもち、ひづめの割れた牛よりもなお 主に喜ばれることでしょう。
69:33 貧しい人よ、これを見て喜び祝え。神を求める人々には 健やかな命が与えられますように。
69:34 主は乏しい人々に耳を傾けてくださいます。主の民の捕われ人らを 決しておろそかにはされないでしょう。
69:35 天よ地よ、主を賛美せよ 海も、その中にうごめくものもすべて。
69:36 神は必ずシオンを救い ユダの町々を再建してくださる。彼らはその地に住み、その地を継ぐ。
ローマ 4:1 では、肉によるわたしたちの先祖アブラハムは何を得たと言うべきでしょうか。
4:2 もし、彼が行いによって義とされたのであれば、誇ってもよいが、神の前ではそれはできません。
4:3 聖書には何と書いてありますか。「アブラハムは神を信じた。それが、彼の義と認められた」とあります。
4:4 ところで、働く者に対する報酬は恵みではなく、当然支払われるべきものと見なされています。
4:5 しかし、不信心な者を義とされる方を信じる人は、働きがなくても、その信仰が義と認められます。
4:6 同じようにダビデも、行いによらずに神から義と認められた人の幸いを、次のようにたたえています。
4:7 「不法が赦され、罪を覆い隠された人々は、幸いである。
4:8 主から罪があると見なされない人は、幸いである。」
4:9 では、この幸いは、割礼を受けた者だけに与えられるのですか。それとも、割礼のない者にも及びますか。わたしたちは言います。「アブラハムの信仰が義と認められた」のです。
4:10 どのようにしてそう認められたのでしょうか。割礼を受けてからですか。それとも、割礼を受ける前ですか。割礼を受けてからではなく、割礼を受ける前のことです。
4:11 アブラハムは、割礼を受ける前に信仰によって義とされた証しとして、割礼の印を受けたのです。こうして彼は、割礼のないままに信じるすべての人の父となり、彼らも義と認められました。
4:12 更にまた、彼は割礼を受けた者の父、すなわち、単に割礼を受けているだけでなく、わたしたちの父アブラハムが割礼以前に持っていた信仰の模範に従う人々の父ともなったのです。
聖書には、主なる神様がアブラハムに対し、子々孫々に至るまで神の民として祝福することを約束し、一方的に契約を言い渡している。
そして、アブラハムはそれを信じて受け留め、契約のしるしとして割礼を受けたと記されている。
しかしそれは、割礼自体が契約そのものでなく、あくまで契約を受けたことのしるしとして割礼を受けたということを示している。
そして、この救いの契約は、主にイスラエルの民を通じて受け継がれていくことになるが、やがて律法を知らない異邦人にも広がっていく。
もともと、救いの契約が先にあったものであり、律法を知らない異邦人が割礼を受ける必要はなく、信仰を持って受け入れるものに聖霊が与えられ、聖霊はこの救いの約束が、神の御子イエス・キリストの十字架の贖いと復活の御業によって成し遂げられたものであることを知る事になるのである。
実は、このイエス様を信じる信仰によって救われることの方が本体であって、律法を守ることや割礼を受けるといったことは、そのひな型であったということであろう。
大切な事は、神が約束された救いの契約を信じることであり、アブラハムも割礼のしるしを受けるまえに信じて救いの約束に与る者となっているのである。
だから、我々は割礼を受ける必要はないし、むしろそれで満足して終わりとか、選ばれたことを誇るのでもなく、イエス様を救い主として信じ、救われた者として、喜び生きること、イエス様こそ真の救い主であり、私はこの方によって救われたのだということを世に証ししていくこと、それが私たちに求められている救われた者のなすべき「しるし」である。
この幸いは、割礼を受けた者だけに与えられるのですか。それとも、割礼のない者にも及びますか。わたしたちは言います。「アブラハムの信仰が義と認められた」のです。どのようにしてそう認められたのでしょうか。割礼を受けてからですか。それとも、割礼を受ける前ですか。割礼を受けてからではなく、割礼を受ける前のことです。アブラハムは、割礼を受ける前に信仰によって義とされた証しとして、割礼の印を受けたのです。こうして彼は、割礼のないままに信じるすべての人の父となり、彼らも義と認められました。
割礼を受けていない者であっても、主イエス様を信じて救われた者は、みなアブラハムの子孫と同じ、神の救いの契約に与る者とされた、まことに幸いなものであるということを覚えたい。