サムエル記上1章19~28節、ルカ1章46~55節、ヘブル1章8~13節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

サムエル記上 1:19 一家は朝早く起きて主の御前で礼拝し、ラマにある自分たちの家に帰って行った。エルカナは妻ハンナを知った。主は彼女を御心に留められ、
1:20 ハンナは身ごもり、月が満ちて男の子を産んだ。主に願って得た子供なので、その名をサムエル(その名は神)と名付けた。
1:21 さて、夫エルカナが家族と共に年ごとのいけにえと自分の満願の献げ物を主にささげるために上って行こうとしたとき、
1:22 ハンナは行こうとせず、夫に言った。「この子が乳離れしてから、一緒に主の御顔を仰ぎに行きます。そこにこの子をいつまでもとどまらせましょう。」
1:23 夫エルカナは妻に言った。「あなたがよいと思うようにしなさい。この子が乳離れするまで待つがよい。主がそのことを成就してくださるように。」ハンナはとどまって子に乳を与え、乳離れするまで育てた。
1:24 乳離れした後、ハンナは三歳の雄牛一頭、麦粉を一エファ、ぶどう酒の革袋を一つ携え、その子を連れてシロの主の家に上って行った。この子は幼子にすぎなかったが、
1:25 人々は雄牛を屠り、その子をエリのもとに連れて行った。
1:26 ハンナは言った。「祭司様、あなたは生きておられます。わたしは、ここであなたのそばに立って主に祈っていたあの女です。
1:27 わたしはこの子を授かるようにと祈り、主はわたしが願ったことをかなえてくださいました。
1:28 わたしは、この子を主にゆだねます。この子は生涯、主にゆだねられた者です。」彼らはそこで主を礼拝した。

ルカ 1:46 そこで、マリアは言った。
1:47 「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。
1:48 身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう、
1:49 力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。その御名は尊く、
1:50 その憐れみは代々に限りなく、主を畏れる者に及びます。
1:51 主はその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、
1:52 権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、
1:53 飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返されます。
1:54 その僕イスラエルを受け入れて、憐れみをお忘れになりません、
1:55 わたしたちの先祖におっしゃったとおり、アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」

ヘブル 1:8 一方、御子に向かっては、こう言われました。「神よ、あなたの玉座は永遠に続き、また、公正の笏が御国の笏である。
1:9 あなたは義を愛し、不法を憎んだ。それゆえ、神よ、あなたの神は、喜びの油を、あなたの仲間に注ぐよりも多く、あなたに注いだ。」
1:10 また、こうも言われています。「主よ、あなたは初めに大地の基を据えた。もろもろの天は、あなたの手の業である。
1:11 これらのものは、やがて滅びる。だが、あなたはいつまでも生きている。すべてのものは、衣のように古び廃れる。
1:12 あなたが外套のように巻くと、これらのものは、衣のように変わってしまう。しかし、あなたは変わることなく、あなたの年は尽きることがない。」
1:13 神は、かつて天使のだれに向かって、「わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまで、わたしの右に座っていなさい」と言われたことがあるでしょうか。



ヘブル書1章の箇所には、イエス様の天使に対する優位性について語られている。
簡単に言えば、イエス様は天使などと比べものにならないほどのお方である、ということであろう。
天使については、聖書に記されてはいるものの、存在理由や働きについて、詳しいことはよくわかっていないが、一つ言えることは、彼らもまた、私たち人間と同じ被造物であるということである。
神が創造された被造物である以上、それは神ではない。
神は全てを創られたお方であり、天使をも創られたのであり、たとえ天使がどのような力を持っていようとも、神に並ぶことのできる存在ではないのである。
天使を辱めるつもりはないが、神はもっともっと凄いお方なのだということを覚えておけば良い。
全てのものを創り、全てのものを治めておられるお方、そのお方が、こんなちっぽけな私の救いのために神ご自身であられるイエス様が命を捧げてまで愛して下さっている。
なんと幸いなことであろうか。
そのことを思うならば、この世界も素晴らしいものに思えてくるだろう。
思うようにならないことや辛いことも、もちろんあるかもしれないが、神が私たちを愛しておられることは永遠に変わりはないのだから、喜んで生きていよう。