ハバクク3章13~19節、詩篇126篇、マタイ21章28~32節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

ハバクク 3:13 あなたは御自分の民を救い 油注がれた者を救うために出て行かれた。あなたは神に逆らう者の家の屋根を砕き 基から頂に至るまでむき出しにされた。
3:14 あなたは矢で敵の戦士の頭を貫き 彼らを嵐のように攻められた。彼らの喜びは、ひそかに貧しい者を食らうように わたしを追い散らすことであった。
3:15 あなたは、あなたの馬に、海を 大水の逆巻くところを通って行かせられた。
3:16 それを聞いて、わたしの内臓は震え その響きに、唇はわなないた。腐敗はわたしの骨に及び わたしの立っているところは揺れ動いた。わたしは静かに待つ 我々に攻めかかる民に 苦しみの日が臨むのを。
3:17 いちじくの木に花は咲かず ぶどうの枝は実をつけず オリーブは収穫の期待を裏切り 田畑は食物を生ぜず 羊はおりから断たれ 牛舎には牛がいなくなる。
3:18 しかし、わたしは主によって喜び わが救いの神のゆえに踊る。
3:19 わたしの主なる神は、わが力。わたしの足を雌鹿のようにし 聖なる高台を歩ませられる。指揮者によって、伴奏付き。

詩篇 126:1  都に上る歌。 主がシオンの捕われ人を連れ帰られると聞いて わたしたちは夢を見ている人のようになった。
126:2 そのときには、わたしたちの口に笑いが 舌に喜びの歌が満ちるであろう。そのときには、国々も言うであろう 「主はこの人々に、大きな業を成し遂げられた」と。
126:3 主よ、わたしたちのために 大きな業を成し遂げてください。わたしたちは喜び祝うでしょう。
126:4 主よ、ネゲブに川の流れを導くかのように わたしたちの捕われ人を連れ帰ってください。
126:5 涙と共に種を蒔く人は 喜びの歌と共に刈り入れる。
126:6 種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は 束ねた穂を背負い 喜びの歌をうたいながら帰ってくる。

マタイ 21:28 「ところで、あなたたちはどう思うか。ある人に息子が二人いたが、彼は兄のところへ行き、『子よ、今日、ぶどう園へ行って働きなさい』と言った。
21:29 兄は『いやです』と答えたが、後で考え直して出かけた。
21:30 弟のところへも行って、同じことを言うと、弟は『お父さん、承知しました』と答えたが、出かけなかった。
21:31 この二人のうち、どちらが父親の望みどおりにしたか。」彼らが「兄の方です」と言うと、イエスは言われた。「はっきり言っておく。徴税人や娼婦たちの方が、あなたたちより先に神の国に入るだろう。
21:32 なぜなら、ヨハネが来て義の道を示したのに、あなたたちは彼を信ぜず、徴税人や娼婦たちは信じたからだ。あなたたちはそれを見ても、後で考え直して彼を信じようとしなかった。」


詩篇126篇に歌われている都のぼりの歌には、涙と共に種を撒くものたちが、やがて喜びと共に刈り入れるようになるだろうといったことが歌われている。
慰めに満ちた言葉であるが、実際にはこれらのことはまだ起きていない段階で歌われた歌であり、将来起こるであろう慰めの時、祝福の時を「信じて」歌っている歌である。
ということは、この歌を歌っている段階では、苦難と悲嘆に満ちた、絶望的な状況であったに違いない。
人は、そういった状況下でも生き抜いていくために、希望が必要であるし、希望を見失わないために信仰が必要なのだ。
逆に言えば、信仰を保つためには希望が必要であるし、希望を保つためには、絶対的な方の慰めの約束が必要である。

ローマ5:2 このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。
5:3 そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、
5:4 忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。
5:5 希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。
5:6 実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、定められた時に、不信心な者のために死んでくださった。
5:7 正しい人のために死ぬ者はほとんどいません。善い人のために命を惜しまない者ならいるかもしれません。
5:8 しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。
5:9 それで今や、わたしたちはキリストの血によって義とされたのですから、キリストによって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。

主なる神様は、私たちを救うため、御子イエス様をこの世界に送り、私たちの罪を贖うための生贄の犠牲となり、十字架で死んで下さった。
そこまでして神は私たちを救おうとされたのであり、ここに神の深いご愛が示されている。
そして、永遠なるお方が実現された救いの約束だから、この救いも永遠に変わることは無い。
だから、私たちは希望を失うことは無い。
希望が失われることは無いから、安心して信じていられるのである。

1コリント13:12 わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。
13:13 それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。

今の時代、どんなに多くの苦難にあふれ、悲嘆にくれるような毎日であったとしても、神の救いの約束は永遠に変わることはないことを覚えて、信じて生きよう。