黙示録7章3~17節、詩篇34篇2~11節、1ヨハネ3章1~3節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

黙示録 7:9 この後、わたしが見ていると、見よ、あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から集まった、だれにも数えきれないほどの大群衆が、白い衣を身に着け、手になつめやしの枝を持ち、玉座の前と小羊の前に立って、
7:10 大声でこう叫んだ。「救いは、玉座に座っておられるわたしたちの神と、小羊とのものである。」
7:11 また、天使たちは皆、玉座、長老たち、そして四つの生き物を囲んで立っていたが、玉座の前にひれ伏し、神を礼拝して、
7:12 こう言った。「アーメン。賛美、栄光、知恵、感謝、誉れ、力、威力が、世々限りなくわたしたちの神にありますように、アーメン。」
7:13 すると、長老の一人がわたしに問いかけた。「この白い衣を着た者たちは、だれか。また、どこから来たのか。」
7:14 そこで、わたしが、「わたしの主よ、それはあなたの方がご存じです」と答えると、長老はまた、わたしに言った。「彼らは大きな苦難を通って来た者で、その衣を小羊の血で洗って白くしたのである。
7:15 それゆえ、彼らは神の玉座の前にいて、昼も夜もその神殿で神に仕える。玉座に座っておられる方が、この者たちの上に幕屋を張る。
7:16 彼らは、もはや飢えることも渇くこともなく、太陽も、どのような暑さも、彼らを襲うことはない。
7:17 玉座の中央におられる小羊が彼らの牧者となり、命の水の泉へ導き、神が彼らの目から涙をことごとくぬぐわれるからである。」

詩篇 34:2 どのようなときも、わたしは主をたたえ わたしの口は絶えることなく賛美を歌う。
34:3 わたしの魂は主を賛美する。貧しい人よ、それを聞いて喜び祝え。
34:4 わたしと共に主をたたえよ。ひとつになって御名をあがめよう。
34:5 わたしは主に求め 主は答えてくださった。脅かすものから常に救い出してくださった。
34:6 主を仰ぎ見る人は光と輝き 辱めに顔を伏せることはない。
34:7 この貧しい人が呼び求める声を主は聞き 苦難から常に救ってくださった。
34:8 主の使いはその周りに陣を敷き 主を畏れる人を守り助けてくださった。
34:9 味わい、見よ、主の恵み深さを。いかに幸いなことか、御もとに身を寄せる人は。
34:10 主の聖なる人々よ、主を畏れ敬え。主を畏れる人には何も欠けることがない。
34:11 若獅子は獲物がなくて飢えても 主に求める人には良いものの欠けることがない。

1ヨハネ 3:1 御父がどれほどわたしたちを愛してくださるか、考えなさい。それは、わたしたちが神の子と呼ばれるほどで、事実また、そのとおりです。世がわたしたちを知らないのは、御父を知らなかったからです。
3:2 愛する者たち、わたしたちは、今既に神の子ですが、自分がどのようになるかは、まだ示されていません。しかし、御子が現れるとき、御子に似た者となるということを知っています。なぜなら、そのとき御子をありのままに見るからです。
3:3 御子にこの望みをかけている人は皆、御子が清いように、自分を清めます。



本日は全聖徒の日となっている。
もともとヨーロッパの一民族であるケルトの古いお祭りであったハロウィンにあてがって決められたものであろうと思われ、日本でいうところのお盆やお彼岸のようなものと言える。
この季節だけ、先祖の霊がこの世に帰ってくるのに伴って、それにまぎれて悪霊たちもやってくると考えられ、おばけに扮して家々を回るというのは、自ら悪霊たちの仲間になっているようなものと言える。
もちろん、ハロウィンで仮装をして楽しんでいる人達にはそんなことはお構いなしなのだろうけれども、自分たちが何をしているのかといったことは、時には深く考えて、その意味や本来の目的を知っておくことも大切なのではないかと思う。
ところで、随分前のことだが、先輩のある牧師が「悪魔ははわざわざ自分が悪魔であると分かるような姿では違ずいてこず、なるべくバレないように、いかにも麗しい姿で近寄ってくることもあるので、気を付けるべき」といったことを語っておられたことがあった。
確かにそうであろうと思うし、だから多くの人は気づかないうちに、まんまと罠にはめられてしまうのであろう。
一方、救い主イエス様はどうかというと、イエス様も、いかにもメシアといった姿では現れなかった。
私たちと全く同じ人間の姿で、しかも、まるで犯罪人か奴隷のような扱いを受けて、地上で処刑されてしまったお方である。
見た目だけで、偏見で物事を見ていると、本質を見誤ることもあるだろう。
イエス様は私たちを救って下さるお方であり、いつでも私たちのことを見守っていて下さる。
一方の悪魔は、私たちをなきものにしようとし、イエス様などいないし、救いも、何の力もないといった嘘を広めるのが仕事。
本質を見失わないようにしていれば、見極めることはそれほど難しいことではないだろうし、それほど恐れることもないだろう。
主イエス様は死をも打ち破り、私たちを救う事の出来る完全な勝利者なのだから。