民数記5章5~10節、詩篇1篇、テトス1章5~16節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

民数記 5:5 主はモーセに仰せになった。
5:6 イスラエルの人々にこう言いなさい。男であれ、女であれ、何か人が罪を犯すことによって、主を欺き、その人が責めを負うならば、
5:7 犯した罪を告白し、完全に賠償し、それに五分の一を追加して損害を受けた人に支払う。
5:8 その賠償を継ぐべき近親がいない場合、その賠償は主のものとなり、祭司が受け取る。このほかに、祭司はその人のために罪の贖いの儀式をする贖罪の雄羊を受け取る。
5:9 同様に、イスラエルの人々が聖なる献げ物として祭司のもとに携えて来る礼物は、すべて祭司のものとなる。
5:10 人がそれぞれ、携えて来る聖なる献げ物は祭司のものとなり、人が祭司に与える物はみな祭司のものとなる。

詩篇 1:1 いかに幸いなことか 神に逆らう者の計らいに従って歩まず 罪ある者の道にとどまらず 傲慢な者と共に座らず
1:2 主の教えを愛し その教えを昼も夜も口ずさむ人。
1:3 その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来れば実を結び 葉もしおれることがない。その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。
1:4 神に逆らう者はそうではない。彼は風に吹き飛ばされるもみ殻。
1:5 神に逆らう者は裁きに堪えず 罪ある者は神に従う人の集いに堪えない。
1:6 神に従う人の道を主は知っていてくださる。神に逆らう者の道は滅びに至る。

テトス 1:5 あなたをクレタに残してきたのは、わたしが指示しておいたように、残っている仕事を整理し、町ごとに長老たちを立ててもらうためです。
1:6 長老は、非難される点がなく、一人の妻の夫であり、その子供たちも信者であって、放蕩を責められたり、不従順であったりしてはなりません。
1:7 監督は神から任命された管理者であるので、非難される点があってはならないのです。わがままでなく、すぐに怒らず、酒におぼれず、乱暴でなく、恥ずべき利益をむさぼらず、
1:8 かえって、客を親切にもてなし、善を愛し、分別があり、正しく、清く、自分を制し、
1:9 教えに適う信頼すべき言葉をしっかり守る人でなければなりません。そうでないと、健全な教えに従って勧めたり、反対者の主張を論破したりすることもできないでしょう。
1:10 実は、不従順な者、無益な話をする者、人を惑わす者が多いのです。特に割礼を受けている人たちの中に、そういう者がいます。
1:11 その者たちを沈黙させねばなりません。彼らは恥ずべき利益を得るために、教えてはならないことを教え、数々の家庭を覆しています。
1:12 彼らのうちの一人、預言者自身が次のように言いました。「クレタ人はいつもうそつき、悪い獣、怠惰な大食漢だ。」
1:13 この言葉は当たっています。だから、彼らを厳しく戒めて、信仰を健全に保たせ、
1:14 ユダヤ人の作り話や、真理に背を向けている者の掟に心を奪われないようにさせなさい。
1:15 清い人には、すべてが清いのです。だが、汚れている者、信じない者には、何一つ清いものはなく、その知性も良心も汚れています。
1:16 こういう者たちは、神を知っていると公言しながら、行いではそれを否定しているのです。嫌悪すべき人間で、反抗的で、一切の善い業については失格者です。


テトスの手紙の箇所には、信徒の群れを監督する者は、周囲の人たちから非難されることがないよう、様々なことに対して節制し、とくに、自分の家庭も治めることができることも重要であると語られている。
自分の事だけならまだしも、家族とはいえ、一人の人間であり、他人でもある。
いくら自分の家族だからと言って、様々なことを強制することもできないし、管理し過ぎることも好ましいことではないだろう。
家族を治めようとすればするほど、反発を招くかもしれないし、家族との距離感とか接し方というのは、思いのほか難しいものである。
過干渉もよくないが、干渉しなさすぎも好ましくはないし、時には程よい距離感で、温かく見守りつつ応援したり、時には手を貸して助けてあげたり、共に生きていくことも必要であろう。
なかなか線引きは難しいが、大切なことは対話を重ねながら、相手の思いを汲み取っていくことなのだろう。
何でも間でもしてあげるだけが愛でもない。
相手の気持ちも尊重し、自分で考え、自分で行動して行けるように見守ってあげることも愛の一つの形でもあろう。
神様も同じではないだろうか。
何もかも強制的に、首に縄を結んで引きずるような仕方では関わろうとせず、ある程度の自由の中で、願いとしては律法の言葉などを通して思いを伝え、あとはその思いに私たちがどう応答していくのかを温かく見守っていて下さるのではないだろうか。
厳しい裁きがもたらされることもあるかもしれないが、それもまた愛のむちのようなもの。

詩篇 23:1  賛歌。ダビデの詩。 主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。
23:2 主はわたしを青草の原に休ませ 憩いの水のほとりに伴い
23:3 魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしく わたしを正しい道に導かれる。
23:4 死の陰の谷を行くときも わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖 それがわたしを力づける。
23:5 わたしを苦しめる者を前にしても あなたはわたしに食卓を整えてくださる。わたしの頭に香油を注ぎ わたしの杯を溢れさせてくださる。
23:6 命のある限り 恵みと慈しみはいつもわたしを追う。主の家にわたしは帰り 生涯、そこにとどまるであろう。