雅歌7章10節~8章4節、詩篇34篇、ヨハネ6章25~35節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

雅歌 7:10 それはわたしの恋しい人へ滑らかに流れ 眠っているあの人の唇に滴ります。
7:11 わたしは恋しい人のもの あの人はわたしを求めている。
7:12 恋しい人よ、来てください。野に出ましょう コフェルの花房のもとで夜を過ごしましょう。
7:13 朝になったらぶどう畑に急ぎ 見ましょう、ぶどうの花は咲いたか、花盛りか ざくろのつぼみも開いたか。それから、あなたにわたしの愛をささげます。
7:14 恋なすは香り そのみごとな実が戸口に並んでいます。新しい実も、古い実も 恋しい人よ、あなたのために取っておきました。
8:1 あなたが、わたしの母の乳房を吸った 本当の兄だと思う人なら わたしをとがめたりはしないでしょう 外であなたにお会いして くちづけするわたしを見ても。
8:2 わたしを育ててくれた母の家に あなたをお連れして 香り高いぶどう酒を ざくろの飲み物を差し上げます。
8:3 あの人が左の腕をわたしの頭の下に伸べ 右の腕でわたしを抱いてくださればよいのに。
8:4 エルサレムのおとめたちよ、誓ってください 愛がそれを望むまでは 愛を呼びさまさないと。

詩篇 34:1  ダビデの詩。ダビデがアビメレクの前で狂気の人を装い、追放されたときに。
34:2 どのようなときも、わたしは主をたたえ わたしの口は絶えることなく賛美を歌う。
34:3 わたしの魂は主を賛美する。貧しい人よ、それを聞いて喜び祝え。
34:4 わたしと共に主をたたえよ。ひとつになって御名をあがめよう。
34:5 わたしは主に求め 主は答えてくださった。脅かすものから常に救い出してくださった。
34:6 主を仰ぎ見る人は光と輝き 辱めに顔を伏せることはない。
34:7 この貧しい人が呼び求める声を主は聞き 苦難から常に救ってくださった。
34:8 主の使いはその周りに陣を敷き 主を畏れる人を守り助けてくださった。
34:9 味わい、見よ、主の恵み深さを。いかに幸いなことか、御もとに身を寄せる人は。
34:10 主の聖なる人々よ、主を畏れ敬え。主を畏れる人には何も欠けることがない。
34:11 若獅子は獲物がなくて飢えても 主に求める人には良いものの欠けることがない。
34:12 子らよ、わたしに聞き従え。主を畏れることを教えよう。
34:13 喜びをもって生き 長生きして幸いを見ようと望む者は
34:14 舌を悪から 唇を偽りの言葉から遠ざけ
34:15 悪を避け、善を行い 平和を尋ね求め、追い求めよ。
34:16 主は、従う人に目を注ぎ 助けを求める叫びに耳を傾けてくださる。
34:17 主は悪を行う者に御顔を向け その名の記念を地上から絶たれる。
34:18 主は助けを求める人の叫びを聞き 苦難から常に彼らを助け出される。
34:19 主は打ち砕かれた心に近くいまし 悔いる霊を救ってくださる。
34:20 主に従う人には災いが重なるが 主はそのすべてから救い出し
34:21 骨の一本も損なわれることのないように 彼を守ってくださる。
34:22 主に逆らう者は災いに遭えば命を失い 主に従う人を憎む者は罪に定められる。
34:23 主はその僕の魂を贖ってくださる。主を避けどころとする人は 罪に定められることがない。

ヨハネ 6:25 そして、湖の向こう岸でイエスを見つけると、「ラビ、いつ、ここにおいでになったのですか」と言った。
6:26 イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ。
6:27 朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。これこそ、人の子があなたがたに与える食べ物である。父である神が、人の子を認証されたからである。」
6:28 そこで彼らが、「神の業を行うためには、何をしたらよいでしょうか」と言うと、
6:29 イエスは答えて言われた。「神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である。」
6:30 そこで、彼らは言った。「それでは、わたしたちが見てあなたを信じることができるように、どんなしるしを行ってくださいますか。どのようなことをしてくださいますか。
6:31 わたしたちの先祖は、荒れ野でマンナを食べました。『天からのパンを彼らに与えて食べさせた』と書いてあるとおりです。」
6:32 すると、イエスは言われた。「はっきり言っておく。モーセが天からのパンをあなたがたに与えたのではなく、わたしの父が天からのまことのパンをお与えになる。
6:33 神のパンは、天から降って来て、世に命を与えるものである。」
6:34 そこで、彼らが、「主よ、そのパンをいつもわたしたちにください」と言うと、
6:35 イエスは言われた。「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。
6:36 しかし、前にも言ったように、あなたがたはわたしを見ているのに、信じない。


人が生きている間は、生きていく以上、様々な欲望を追い求めてしまう。
これは避けられないことであるし、ある意味仕方のないことであろう。
しかし、それらの欲望があるゆえに、滅びへとまっしぐらに突き進んでいってしまうこともまた事実である。
欲望を捨て去ることはできないし、仮に全ての欲望を捨て去ったなら、人は生きる意思を失うだろう。
生きるのか、滅びるのか、どちらを選ぶのかと言えば、やはり生きる道を選びたい。
あとは、己の欲望とぼう向き合い、対峙していくか、難しい問題ではあるが、聖書では、そんな欲望に支配された者を罪の支配から解放し、永遠に滅びることのない命に生きるものとして下さるということが約束されている。
本来、生きていくために必要な欲望の支配から解放されても、生きていられるというのである。
これは幸いなことではないだろうか。
イエス様は「「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。」と仰せられ、神から遣わされたイエス様を信じることこそがそれを得ることであると語られている。
イエス様を信じれば、もはや永遠に失われることのない命が約束されているのだから、必要以上に欲望に囚われる必要もなくなるだろう。
もっとも、この世に生きている間は、完全にとはいかないが、欲に支配されて周りに迷惑をかけたりするようなことからは解放されていくのではないだろうか。
逆に、周りの人たちにことにも心を配ることができるような欲?に支配されていくならば、それも幸いなことであろう。
そしてそれこそ、神が与えて下さる愛というものである。

1コリント14:1 愛を追い求めなさい。霊的な賜物、特に預言するための賜物を熱心に求めなさい。

愛とは、単にモノやサービスを与えていくことだけを表しているのではなく、それよりも、全てを与えて下さる神をお伝えしていく(預言していく)ことこそが最高の愛であり、神が与えて下さる永遠の命に全ての人があずかることができることを心から望んでいきたい。