レビ 4:27 一般の人のだれかが過って罪を犯し、禁じられている主の戒めを一つでも破って責めを負い、
4:28 犯した罪に気づいたときは、献げ物として無傷の雌山羊を引いて行き、
4:29 献げ物の頭に手を置き、焼き尽くす献げ物を屠る場所で贖罪の献げ物を屠る。
4:30 祭司はその血を指につけて、焼き尽くす献げ物の祭壇の四隅の角に塗り、残りの血は全部、祭壇の基に流す。
4:31 奉納者は和解の献げ物から脂肪を切り取ったように、雌山羊の脂肪をすべて切り取る。祭司は主を宥める香りとしてそれを祭壇で燃やして煙にする。祭司がこうして彼のために罪を贖う儀式を行うと、彼の罪は赦される。
5:14 主はモーセに仰せになった。
5:15 主にささげるべき奉納物のどれかを過ってささげず、主を欺いて罪を犯した場合、その償いとして、聖所で定められた支払額に相当する無傷の雄羊を群れから取って、主にささげ、賠償の献げ物とする。
5:16 彼はささげるのを怠った奉納物に五分の一の割り増し分を加えて祭司に渡す。祭司がその賠償の献げ物の雄羊をもって彼のために罪を贖う儀式を行うと、彼の罪は赦される。
詩篇 119:65 主よ、あなたの御言葉のとおり あなたの僕に恵み深くお計らいください。
119:66 確かな判断力と知識をもつように わたしを教えてください。わたしはあなたの戒めを信じています。
119:67 わたしは迷い出て、ついに卑しめられました。今からは、あなたの仰せを守らせてください。
119:68 あなたは善なる方、すべてを善とする方。あなたの掟を教えてください。
119:69 傲慢な者は偽りの薬を塗ろうとしますが わたしは心を尽くしてあなたの命令を守ります。
119:70 彼らの心は脂肪に閉ざされています。わたしはあなたの律法を楽しみとします。
119:71 卑しめられたのはわたしのために良いことでした。わたしはあなたの掟を学ぶようになりました。
119:72 あなたの口から出る律法はわたしにとって 幾千の金銀にまさる恵みです。
1ペテロ 2:11 愛する人たち、あなたがたに勧めます。いわば旅人であり、仮住まいの身なのですから、魂に戦いを挑む肉の欲を避けなさい。
2:12 また、異教徒の間で立派に生活しなさい。そうすれば、彼らはあなたがたを悪人呼ばわりしてはいても、あなたがたの立派な行いをよく見て、訪れの日に神をあがめるようになります。
2:13 主のために、すべて人間の立てた制度に従いなさい。それが、統治者としての皇帝であろうと、
2:14 あるいは、悪を行う者を処罰し、善を行う者をほめるために、皇帝が派遣した総督であろうと、服従しなさい。
2:15 善を行って、愚かな者たちの無知な発言を封じることが、神の御心だからです。
2:16 自由な人として生活しなさい。しかし、その自由を、悪事を覆い隠す手だてとせず、神の僕として行動しなさい。
2:17 すべての人を敬い、兄弟を愛し、神を畏れ、皇帝を敬いなさい。
仏教では、あらゆる苦難の根源は執着することによると考え、執着することを捨て去れば、穏やかに暮らすことができると説き、そのような状態を悟った者、すなわち仏と考えた。
キリスト教でも、様々な欲望などにより執着することを罪と考え、その罪の支配から解き放たれることを救われた状態と考える。
基本的なことはよく似ているのかもしれないが、大きく違っているのは、仏教では悟りの状態に達するためには、様々な訓練や鍛錬を必要とし、人間の力によってそれを達成していくことが求められているのに対し、キリスト教では、救いに達するために罪から解き放たれるためには、人間の力では不可能であり、神の御子イエス・キリストの十字架の贖いの御業によってそれが成し遂げられるというところにある。
もちろん、自分の力だけでは救いを成し遂げることができないため、生きている間は、あいかわらず罪の支配下にあって、悪の行いへと導かれてしまうこともあるだろう。
ただ、キリストの十字架の贖いによる救いの約束を受け取った者は、もはや、罪のゆえに滅ぼされることはなく、そういう意味で、罪と死の支配からは解放されているのである。
救いは約束されているのだから、あとはどう生きるか、まさに自由ではあるが、貴い代価を支払って贖っていただいた者として、せめて、神の御心に沿う生き方を選んでいきたい。
キリストにあって救われた者は自由である。
その自由を、罪の奴隷の状態のままに、よこしまなことに用いるのではなく、神の喜ばれる幸いな生き方へと歩んで行けるよう、用いていきたいものである。