箴言 11:23 神に従う人の望みは常に良い。神に逆らう者の期待は怒りに終る。
11:24 散らしてなお、加えられる人もあり 締めすぎて欠乏する者もある。
11:25 気前のよい人は自分も太り 他を潤す人は自分も潤う。
11:26 穀物を売り惜しむ者は民の呪いを買い 供する人の頭上には祝福が与えられる。
11:27 善を捜し求める人は好意を尋ね求める人。悪を求める者には悪が訪れる。
11:28 富に依存する者は倒れる。神に従う人は木の葉のように茂る。
11:29 家に煩いをもたらす者は風を嗣業とする者。愚か者は知恵ある人の奴隷となる。
11:30 神に従う人の結ぶ実は命の木となる。知恵ある人は多くの魂をとらえる。
詩篇 92:1 賛歌。歌。安息日に。
92:2 いかに楽しいことでしょう 主に感謝をささげることは いと高き神よ、御名をほめ歌い
92:3 朝ごとに、あなたの慈しみを 夜ごとに、あなたのまことを述べ伝えることは
92:4 十弦の琴に合わせ、竪琴に合わせ 琴の調べに合わせて。
92:5 主よ、あなたは 御業を喜び祝わせてくださいます。わたしは御手の業を喜び歌います。
92:6 主よ、御業はいかに大きく 御計らいはいかに深いことでしょう。
92:7 愚かな者はそれを知ることなく 無知な者はそれを悟ろうとしません。
92:8 神に逆らう者が野の草のように茂り 悪を行う者が皆、花を咲かせるように見えても 永遠に滅ぼされてしまいます。
92:9 主よ、あなたこそ、永遠に高くいます方。
92:10 主よ、あなたに敵対する者は、必ず あなたに敵対する者は、必ず滅び 悪を行う者は皆、散らされて行きます。
92:11 あなたはわたしの角を野牛のように上げさせ 豊かな油を注ぎかけてくださることでしょう
92:12 わたしを陥れようとする者をこの目で見 悪人がわたしに逆らって立つのを この耳で聞いているときにも。
92:13 神に従う人はなつめやしのように茂り レバノンの杉のようにそびえます。
92:14 主の家に植えられ わたしたちの神の庭に茂ります。
92:15 白髪になってもなお実を結び 命に溢れ、いきいきとし
92:16 述べ伝えるでしょう わたしの岩と頼む主は正しい方 御もとには不正がない、と。
マタイ 13:10 弟子たちはイエスに近寄って、「なぜ、あの人たちにはたとえを用いてお話しになるのですか」と言った。
13:11 イエスはお答えになった。「あなたがたには天の国の秘密を悟ることが許されているが、あの人たちには許されていないからである。
13:12 持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。
13:13 だから、彼らにはたとえを用いて話すのだ。見ても見ず、聞いても聞かず、理解できないからである。
13:14 イザヤの預言は、彼らによって実現した。『あなたたちは聞くには聞くが、決して理解せず、見るには見るが、決して認めない。
13:15 この民の心は鈍り、耳は遠くなり、目は閉じてしまった。こうして、彼らは目で見ることなく、耳で聞くことなく、心で理解せず、悔い改めない。わたしは彼らをいやさない。』
13:16 しかし、あなたがたの目は見ているから幸いだ。あなたがたの耳は聞いているから幸いだ。
13:17 はっきり言っておく。多くの預言者や正しい人たちは、あなたがたが見ているものを見たかったが、見ることができず、あなたがたが聞いているものを聞きたかったが、聞けなかったのである。」
イエス様が多くのたとえ話しを用いられた理由は、御言葉を聞こうとする人には理解できても、聞こうとしない人には理解できないため、といったことが語られている。
要するに、聞く者の心が最初から聞こうとしていなければ、何を聞いても理解することができない、ということであろう。
イエス様は、御言葉を聞けば、その人は癒されるであろうとも語られている。
つまり、御言葉を聞こうとする意志があるかどうかは、イエス様に癒されたいかどうかにかかっているということであろう。
イエス様に癒してもらわなくても、この世のモノや事で十分事足りていると思うなら、イエス様に癒しを求める必要性も感じないだろうし、だから御言葉に聞こうとも思わないだろう。
しかし、それらが本当に私を癒してくれるのかどうか。
イエス様を見たり、御言葉を聞いたりするためには、まずはこの世のモノや事をしっかりと見つめ直し、果たしてそれが本当に私を癒してくれるのか、あるいは、救ってくれるのか、じっくりと考えてみたい。
少なくとも、私のために命がけで愛してくれるような方はイエス様をおいて他にはいない。
それだけでも十分、イエス様に聞いていくだけの価値あることではないかと思う。