エレミヤ書27章1~11,16~22節、詩篇131篇、ローマ1章16~25節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

エレミヤ書 27:1 ユダの王、ヨシヤの子ゼデキヤの治世の初めに、この言葉が主からエレミヤに臨んだ。
27:2 「主はわたしにこう言われる。軛の横木と綱を作って、あなたの首にはめよ。
27:3 そして、ユダの王ゼデキヤのもとに遣わされてエルサレムに来た、エドムの王、モアブの王、アンモン人の王、ティルスの王、シドンの王の使者たちに伝言を持ち帰らせよ。
27:4 あなたは彼らに命じて、それぞれの主君に次のように言わせるのだ。イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。あなたたちの主君にこう言いなさい。
27:5 わたしは、大いなる力を振るい、腕を伸ばして、大地を造り、また地上に人と動物を造って、わたしの目に正しいと思われる者に与える。
27:6 今やわたしは、これらの国を、すべてわたしの僕バビロンの王ネブカドネツァルの手に与え、野の獣までも彼に与えて仕えさせる。
27:7 諸国民はすべて彼とその子と、その孫に仕える。しかし、彼の国にも終わりの時が来れば、多くの国々と大王たちが彼を奴隷にするであろう。
27:8 バビロンの王ネブカドネツァルに仕えず、バビロンの王の軛を首に負おうとしない国や王国があれば、わたしは剣、飢饉、疫病をもってその国を罰する、と主は言われる。最後には彼の手をもって滅ぼす。
27:9 あなたたちは、預言者、占い師、夢占い、卜者、魔法使いたちに聞き従ってはならない。彼らは、バビロンの王に仕えるべきではないと言っているが、
27:10 それは偽りの預言である。彼らに従えば、あなたたちは国土を遠く離れることになる。わたしはあなたたちを追い払い、滅ぼす。
27:11 しかし、首を差し出してバビロンの王の軛を負い、彼に仕えるならば、わたしはその国民を国土に残す、と主は言われる。そして耕作をさせ、そこに住まわせる。」
27:16 わたしは祭司たちと、この民のすべてに向かって言った。「主はこう言われる。主の神殿の祭具は今すぐにもバビロンから戻って来る、と預言している預言者たちの言葉に聞き従ってはならない。彼らは偽りの預言をしているのだ。
27:17 彼らに聞き従うな。バビロンの王に仕えよ。そうすれば命を保つことができる。どうしてこの都が廃虚と化してよいだろうか。
27:18 もし、彼らが預言者であり、主の言葉を受けているなら、主の神殿とユダの王の宮殿とエルサレムに残っている祭具がバビロンへ持ち去られないよう、万軍の主に願うがよい。」
27:19 万軍の主は、青銅の柱、「海」、台、そのほか、この都に残っている祭具について、こう言われる。
27:20 これらの物は、バビロンの王ネブカドネツァルが、ユダの王、ヨヤキムの子エコンヤとユダおよびエルサレムの貴族たちを、エルサレムからバビロンへ捕囚として移したとき、持ち去らなかったものである。
27:21 イスラエルの神、万軍の主は、主の神殿、ユダの王の宮殿、およびエルサレムに残っている祭具について、こう言われる。
27:22 「これらの器具はバビロンへ持ち去られ、わたしが顧みる日まで、そこにとどめ置かれる、と主は言われる。しかし、わたしはこれらの器具をこの場所に持ち帰らせる。」

詩篇 131:1  都に上る歌。ダビデの詩。 主よ、わたしの心は驕っていません。わたしの目は高くを見ていません。大き過ぎることを わたしの及ばぬ驚くべきことを、追い求めません。
131:2 わたしは魂を沈黙させます。わたしの魂を、幼子のように 母の胸にいる幼子のようにします。
131:3 イスラエルよ、主を待ち望め。今も、そしてとこしえに。

ローマ 1:16 わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。
1:17 福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。「正しい者は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。
1:18 不義によって真理の働きを妨げる人間のあらゆる不信心と不義に対して、神は天から怒りを現されます。
1:19 なぜなら、神について知りうる事柄は、彼らにも明らかだからです。神がそれを示されたのです。
1:20 世界が造られたときから、目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることができます。従って、彼らには弁解の余地がありません。
1:21 なぜなら、神を知りながら、神としてあがめることも感謝することもせず、かえって、むなしい思いにふけり、心が鈍く暗くなったからです。
1:22 自分では知恵があると吹聴しながら愚かになり、
1:23 滅びることのない神の栄光を、滅び去る人間や鳥や獣や這うものなどに似せた像と取り替えたのです。
1:24 そこで神は、彼らが心の欲望によって不潔なことをするにまかせられ、そのため、彼らは互いにその体を辱めました。
1:25 神の真理を偽りに替え、造り主の代わりに造られた物を拝んでこれに仕えたのです。造り主こそ、永遠にほめたたえられるべき方です、アーメン。


人間には知恵があり、何が自分にとって益であるかといったことを考えながら生きようとする。
知的ではあるが、どちらかと言うと利己的と言えるだろう。
そして、そういった自分の考えに信頼し、傲慢になってしまう。
しかし、そのような生き方を続けている限り、真の命にあずかることはできないだろう。
人が自分の義に頼って生きる限り、そこには必ず利己的な罪の力が働き、滅びの道へと進んで行くだけであろう。
しかし、聖書には、そんな滅びゆくしかないような私たち人間を救うため、神ご自身が救いの道を開いて下さったことが記されている。
しかもそれは、神ご自身が自らの命と引き換えに成し遂げられたものであり、それほどに、命をかけてまでも私たちのことを愛して下さっているというのである。
自分の命を捨ててまでも、私たちを愛し、救おうとされた神の救いの御業は、どんなに知的であろうと、利己的な生き方しかできない人間にはとうていできない業であろう。
私たち人間には自分を救う力がないからこそ、神が私たちの代わりに救いの御業を成し遂げて下さったのである。
私たち人間は、知恵も力も持っていると勘違いしているが、本当はそうではない。
神の愛と憐れみ、そして、それゆえに成し遂げられた救いの御業、何ひとつ、人間には無いものばかり。
これらの幸いな約束を恵みとして頂けるのだから、感謝して素直に信じて恵みを受け取る者でありたいものである。